ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代 (下)

旧字・旧仮名遣いは改めました。また、漢字変換の煩雑を避けるために、一部、送り仮名や漢字が原書と異なるものもあります。

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p013
   山から丘へ、
   そして、谷間をくだる。
   すると、翼にのるかに、
   歌声が響き、そしてゆれる。
   とどめがたき衝動に、
   喜びは、戒めはつづけ、
   汝がつとめは、愛につつまれてあれ、
   汝が生は、行為にてあれ、と。
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p014
   生においては何事も先へのばすな、
   汝が生は行為また行為にてあれ。
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p020
   山から丘へ、
   そして、谷間をくだる。
   すると、翼にのるかに、
   歌声が響き、そしてゆれる。
   とどめがたき衝動に、
   喜びは、戒めはつづけ、
   汝がつとめは、愛につつまれてあれ、
   汝が生は、行為にてあれ、と。

   絆はたたれ、
   信頼は傷つく。
   いかなる定めにさらされるのか、
   言うすべもなく、知るすべもなし。
   寡婦のごと、悲しみに満ち、
   われは別れ、われはさ迷う。
   一人と離れ、他の一人とともに、
   とどめも知らず、われはさ迷う。

   いつまでも大地にしばられるな、
   思いきって、元気よくとび出せ!
   頭と腕に明るい力があれば、
   いずこにいても我が家にひとし。(2013・3・21、39回卒業式)
   太陽を喜ぶところ、
   憂いはかけらもなし。
   世界に散らばらんがため、世界はかくも広いのだ。
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p045
   ありきたりの人間は、新しいものに珍しいものしか見ない。

   新世界には伝来のものはなに一つないから、不可欠な必要のために新しい手段を探す勇気を、精神はもたなければならないからだ。そこでは創意が働き、必要性には大胆さとねばり強さが加わるのだ。
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p133
   「自分が幸せなところに、自分の祖国がある」と言われ、繰り返されてきました。しかし、この慰めの言葉は、「自分が役立つところに、自分の祖国がある」と言えば、もっとよく表現できるでしょう。家では役立たずでもすぐには気づかれないことがありますが、世間へ出れば、役立たずはたちまち見破られます。だから私が、「誰もが、自他に役立つように努めよ」と言うとすれば、これは教訓や助言ではなく、人生そのものを言い表したことになります。
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p143
   このすべてを私たちhs、厳かな別れの時に当たって、もう一度考え、明らかにし、耳に聞き、認め、また親しみをこめた別れの言葉によって確かめようと思ったのです。

   いつまでも大地にしばられるな。
   思いきって、元気よくとび出せ!
   頭と腕に明るい力があれば、
   いずこにいても我が家にひとし。
   太陽を喜ぶところ、
   憂いはかけらもなし。
   世界に散らばらんがため、
   世界はかくも広いのだ」
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p146
   度を過ごすな
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p167
   国家にもっとも必要なのは、勇気ある政府だ。

   何人も他人に対して不快であってはならない。不快であることが証明された者は、他人に我慢してもらうにはいかに振舞うべきかを理解するまで、遠ざけられる。生気のない者、非理性的な者の場合も、同様に取りのけられる。
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p173
   利益を細目ではなく、対局において判断することの方が大事だからです。細目からみる場合には、何をなすべきか、何を放置しておくべきかは常に自ずから明らかになります。その場合には、この尺度を当面の対象に当てはめるだけですでに十分です。しかし対局において判断しようとする場合には、将来を考慮しなければなりませんし、先を見通す力のある人がそのための計画を作っても、他の人々の賛成を得る見込みは少ないのです。
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p174
   人々が、目的については一致しても、それに至る手段について一致することは遙かに稀である

   手段の選択は、我々を自分の中に引き戻し、一人一人がもとあった通りになり、以前全体に調和していたことなどまるでなかったように、また孤立していると感じるからです。
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p179
   留まるも行くも、行くも留まるも、
   つねに、すぐれたる人にならえ、
   役立つことをなすところ  (2012/08/13,SUA 入学レセプション
   そこに、こよなき国はある (へのメッセージに引用
   汝のあとを追うは易しきこと、
   汝に従う者はそこに至る、
   汝、ゆるぎなき祖国を示せ。
   指導者万歳、バント万歳。

   汝は力と荷を分かち、
   誤りなくそれを計る。
   於いたる者には、安らぎと品位を、
   若き者には、仕事と妻を。
   相共にする信頼は、
   清らなる家を作り、
   庭も垣根もめぐらせ、
   隣人へのいつくしみを養う。

   整える道のかたえ、
   新しき酒場に人は憩う、
   よそ人にも、惜しみなく、
   畑地を分かつ。かかる地へ、
   もろ人とともに、われは行かん。
   急ぎ行き、移り住め、
   ゆるぎなき祖国へ。
   指導者万歳。バント万歳。
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p201
   我々を惑わすあらゆる誤謬は、実にさまざまな仕方で生ずる。
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p202
   人間は結局どこへ向かうべきか、本来何を為し、何を為さずにおくべきかを確実に知ることは稀である

   有難いことに、こうしたすべての質問は、またその他の奇妙な凡百の質問は、君たちの絶えざる日々の生の歩みによって答えることができる。日々の勤めを直視しつつ進み、それによって、君たちの魂の清らかさと、君たちの精神の確実さを試したまえ。そうして暇なときに深く息をつき、崇高な領域に至る自己を見出すならば、あらゆる手段を尽くして、敬いつつ献身し、いかなる結果をも、畏敬の念をもって眺め、より高い導きをそのなかに認めなければならない崇高なものにたいする正しい姿勢を、確実に君たちは勝ちえるであろう
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p209
   決心はどこから来るのでしょう。決心することは、わたしと同じように、誰にとっても難しいことなのです。
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p231
   新しいものの検討において問わなければならないのは、受け入れられたことが、真の獲得なのか、あるいは、時流にのった一致にすぎないのかということである。

   学問においては絶対的な自由が必要である。学問においては、われわれは今日、明日のためでなく、考えられぬほど先の将来のために働いているのであるからだ。
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p256
   混乱の外にいる人に、混乱がわかるはずがない
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p260
   1 人生行路の秘密を明らかにすることはできないし、できることでもない。そこにはすべての旅人が足をとられる「つまづきの石」があるが、その場所を示唆するのが詩人の役目である。
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p261
   4 真の弟子は既知のものから未知のものを展開する術(すべ)を学び、かくて師に近づく。
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p264
   15 予言術と人間の本性との関係も同様である。見識ある人にとっては両方ともつねに正しいが、視野の限られている人には時に応じて違って見える。

   16 鍛冶屋は鉄に火を吹きつけ、鉄の棒から余分な成分を取り除いて、鉄を軟らかくする。余分な成分が取り除かれると打ち鍛える。つぎに水という違う成分によって強度を加える。教師も人間にたいして同じことを行う。
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p265
   19 芸術によって美しい姿を与えられた石は美しく見える。それが美しく見えるのは芸術によって姿を与えられたからで、石であるからではない。そうでなければ、他の石も美しく見えるだろう。
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p266
   20 しかし素材にそういう姿があったのではなく、それが石に与えられる前にそれを作る人間の頭の中にあったのだ。しかしまた、芸術家がそれを作る目や手を持っていたからではなく、芸術を与えられていたからだ。

   21 したがって芸術にはもっとはるかに偉大な美があった。というのは、芸術の中にある姿は石に移されることなくそこに留まり、別のより低次な姿が現れるからである。そしてこの姿は純粋に自己自身の内に留まることなく、また芸術家が望むように現れることもなく、石が芸術の意に従う限りにおいてのみ現れる。
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p270
   29 生来、身に備わっているものは、たとえ投げ捨てようとも、これを逃れることはできない。
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p271
   32 折衷的な哲学はありえないが、折衷的な哲学者はありうる。
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p272
   34 したがって、二人の折衷的な哲学者が、めいめいが反対の傾向をもって生まれ伝えられてきた全ての哲学の中から自分に適したものを取り入れるとすれば、互いに最大の論敵となるだろう。君たちの周囲を見てみたまえ。誰もがこのように振舞っていて、そのため、なぜ他人を自分の意見に同調させられないのか理解できないでいるのが、始終目にはいるだろう。

   36 詳しく吟味すれば、歴史家にとって歴史は容易に歴史的にならないことがわかる。というのは、その時どきの史家は常に、自分がその時その場に居合わせたかのように書くが、以前何があったのか、そのとき何が人心を動かしたのかは書かないからである。年代記作者の方は多かれ少なかれ、自分の町や修道院の、また自分の時代の制約や特色を暗示するに留まる。
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p273
   37 しばしば繰り返されるのを常とする古人のさまざまの格言は、後代の人が与えたがるのとは全く別の意味を持っていた。

   38 幾何学を知らない者、幾何学に無縁の者は哲学者の学園に入ってはならないという言葉は、哲人になるためには数学者でなければならない、などという意味ではない。
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p274
   41 次に、「汝自身を知れ」という意味深い言葉を取り上げてみれば、私たちはそれを禁欲主義的な意味に解釈する必要はない。それは当今の憂鬱症患者、諧謔家、自虐家の言う自己認識の意味では決してなく、ごく単純なことなのだ。つまり、君が君の同類や世間とどういう関係にあるかを知るために君自身に多少とも注意を払い、君自身のことを考えよ、という意味なのだ。そのためには、心理的な虐待など必要としない。ひとかどの人間なら誰でも、これがどういうことなのかを知り、実際に経験している。これは誰にでも実地にきわめて有益な、すぐれた助言なのだ。
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p275
   42 古代人の、特にソクラテス派の偉大さを考えてみるがいい。彼らはあらゆる生活と行為の源泉と基準を念頭に置き、空虚な思弁へでははなく、生活と行動へと促すのである。
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p276
   45 学校の教師は、ラテン語を書いたり話したりしようと努めることで、自分が、常日頃考えている以上のすぐれた、高貴な存在であるかのように錯覚する。

   46 文学や美術の創作を解する感受性の持ち主は、古典芸術に接すると、きわめて快く精神的な自然状態に置かれるのを感じる。そして今日に至るまでなおホメロスの詩篇は、何千年にもわたる伝統が私たちに担わした重荷から、少なくとも一時は私たちを解放してくれる力を持っている。

   47 ソクラテスが道徳的な人間を自分のもとに呼び寄せて、その人があっさりとある程度自分の蒙を啓かれるようにしてやったのと同じく、プラトンとアリストテレスも、自然の前へ、その資格のある者として進み出た。プラトンは精神と心情をあげて自然に身を委ねるために、アリストテレスは研究者の目と方法をもって自然を取り込むために。したがって私たちが、全体として、また個々の点でこの三人に近づくことができれば、それは常に私たちが最も喜ばしく感じる出来事であり、また、私たちの教養を促進するものであることをはっきりと示す出来事でもある。
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p280
   55 炭火の香煙が生命を爽やかにするように、祈りは心の希望を爽やかにする。

   56 私の確信によれば、聖書は、それを理解すればするほど、いよいよ素晴らしいものとなる。すなわち、私たちが一般的に解釈し、個々別々に私たちに当てはめて考えている言葉の一つ一つが、ある種の事情により、時と場所の状況によって、独自の、特殊な、直接に個人的な関連をもっていたことを洞察し観照すればするほど。
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p281
   60 しかし私たちは、自分や他人の中に湧いてきたり忍び込んできたりするかもしれない誤ったもの、ふさわしくないもの、不十分なものを、澄んだ心と誠意によってできるだけ取り除く努力を続けようではないか。
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p282
   61 年を取るにつれて試練もまた厳しくなる。

   62 道徳的であることをやめねばならぬとき、もはや私にはいかなる権力もない。
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p283
   64 しかしこの場合にも、次のことに注目しなければならない。すなわち苦しめられる側も彼らなりのやり方で同様に言論の自由を抑圧しようとする。しかもそれは、彼らが陰謀を企てていて、裏切られまいとする場合である。

   65 人に欺かれるのではない。自分で自分を欺くのだ。

   66 私たちは私たちの言語であるドイツ語に、Kind(個々の子供)に対するKindheit(総体としての子供)と同じ関係を言い表す、Volk(個々の民衆)に対するVolkheit(総体としての民衆)という語を必要とする。教育者が耳を傾けなければならないのはKindheitに対してであって、Kindに対してではない。立法者にして統治者たる者もVolkにではく、Volkheitに耳を傾けなければならない。Volkheitの語る言葉は常に同じで、理性的であり、不変であり、純粋であり真実である。しかしVolkは欲するばかりで、自分の欲することを決して知らない。そしてこの意味において法律はVolkheitの意志を一般的に表明したものであるべきだし、またそうでありうる。これは大衆によって表明されることは決してないが、分別ある人はそれを聞き取り、理性的な者はこの意志を満足させることができ、善良な人は喜んで満足させる。
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p284
   67 私たちはどのような権利をもって支配するのか。私たちはそれは問題にしない−−−私たちは支配しているのだから。個々の民衆には私たちを解任する権利があるのか。私たちはそれを気にかけない。−−−私たちは個々の民衆がそうする誘惑に陥らないように用心するだけだ。
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p285
   72 誰かを誉めるということは、自分をその人と対等の立場に置くということだ。
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p286
   73 知るだけでは十分ではない。応用もしなければならない。欲するだけでは十分ではない。実行もしなければならない。
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p289
   83 似非賢者たちは、なにか新しい発見があるたびに、できるだけ速くそこから自分のためになんらかの利益を引き出そうとする。彼らは、それを広めたり、増補したり、改良したり、それをたちまちものにしたりし、時には先取りさえして、空虚な名声を得ようとする。そして、このような未熟な行為によって真の学問を不確かなものにし、混乱させるばかりか、学問のもっとも素晴らしい成果、すなわち、その実用的な花を明らかにしぼませてしまう。
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p292
   91 計算についても同じである。−−−明確な実験にまではもっていけないような真理が非常に多くあるのと同様、計算し得ない真理も多い。
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p295
   99 新しい真理にとって、古い誤謬ほど有害なものはない。
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p298
   104 私のよく知っていることは、私だけでわかっていることである。それを口にすると、それから先へ進むことはめったにない。たいてい反論を引き起こし。行き詰まり停滞する。
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p300
   111 悟性と想像力が理念の立場に立つとき、仮説が生まれる。
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p301
   112 あまりに長く抽象的なものに留まるのはよくない。秘教的なものは、一般公共のものになろうとすると、害を及ぼすだけである。生は生あるものによってもっともよく教えられる。

   113 父親がいなくなったとき、子供たちのために父親の代理がつとまるのが、もっともすぐれた女性とみなされる。
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p302
   117 「悲劇とは、外界の事物を素材として何やらでっち上げる人たちの、韻文化された情熱にほかならないのではないか」
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p308
   132 時間を使わずに、それを現金のように取っておけるものなら、世間の大半の人はそれを、自己の怠惰を弁護する一種の口実にするであろう。だが、完全な口実にはならない。そういうのは、苦労して利子を生み出そうとはせずに、元金で暮らしている家計のようなものだから。

   133 近頃の詩人たちは、インクにたくさん水を混ぜる。

   134 学説というもののさまざまな奇妙な愚劣さのなかで、古文書や古い著作が本物か否かという論争ほど滑稽至極なものはない。私たちが賛嘆したり非難したりするのは、いったい著者なのであろうか、書物なのか。私たちが目の前にしているのは、ただ著者だけで、精神の仕事を解釈するのに、著者の名前などどうでもいいではないか。
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p309
   136 三十分ぐらいは大したことはないと思うよりも、この世のもっともつまらないことでも実行する方がましである。
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p310
   137 勇気と謙虚はもっとも曖昧なところのない美徳である。いずれも、偽善の真似のできないものだからである。それに、どちらも同じ顔色で現れるという共通した性質を持つ。

   138 あらゆる泥棒連中の中で間抜けが一番困る。奴らは、時間と気分の両方を奪う。

   139 自己を大切にすることが私たちの道徳を導き、他人を尊重することが私たちの態度を支配する。
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p315
   152 人間は、自ら安んじて身を委ぬべき根本経験とはなにかということを明らかにしようとしているのだということに、頭脳明晰な人でさえ気づいていない。

   153 しかし、これはこれでいいん0かもしれない。さもなければ、探求を早々にやめるかもしれないからだ。
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p316
   156 最大の困難は思いがけないところに潜んでいる。
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p320
   171 彼は何事においても模範となる人ではなく、一切のことにおいて暗示し、呼び覚ます人である。

   173 「日々の価値ほど高く評価すべきものはない」
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p322
   176 それゆえ、受け入れた思想を、そこにどれほど多くのものが秘められていたのか、誰にも容易に想像がつかなかったと言えるほど実り豊かに展開させることができるなら、それは独創性のもっとも素晴らしいしるしである。

   177 ちょうど緑の枝から花が咲き出るように、多くの思想はまず一般の文化の中から生まれてくる。薔薇の季節になれば、どこにもかしこにも薔薇の花が咲いているのが見られる。

   178 「いかなるものでも、まったく何の偏(かたよ)りもなく再現されることは滅多にない。その点、鏡は例外だと言う人があるかもしれない。だが、私たちは鏡の中に自分の顔を決してそっくりそのまま見ているわけではない。そればかりか、鏡は私たちの姿をあべこべに映して、左手を右手にする。このことは、私たち自身に関するあらゆる考察ひ比喩となるであろう」
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p323
   180 春や夏に暖炉のことを思い出す人はまずいない。それでも、たまたま暖炉のそばを通って、暖炉の呼び起こす快適な感じを思い起こして、いい気持ちでその気分に浸りたくなることがあるものだ。この気分はあらゆる誘惑に通じるものであろう。

   181 「君の論証が認められなくとも、じたばたするな」