ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代 (中)

                                       小宮豊隆訳 岩波文庫

旧字・旧仮名遣いは改めました。また、漢字変換の煩雑を避けるために、一部、送り仮名や漢字が原書と異なるものもあります。

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p019-020
   生まれながらに人間社会の高い地位に置かれているということは、一種独特のことである。世襲の富が完全に楽々と生存させてくれる者、人類の、なんと言ったらいいか、あらゆる第二義的なものに子供の時分から豊富に取り巻かれている者、そういう者は多くの場合、そういう財貨を第一のもの、最も偉大なものと考えることに慣らされて、自然から美しいものを恵まれている人間の価値があまりはっきりとは分からない。門地の高い者が低い者に対する態度でも、また高い者同士の間の態度でも、計測の尺度になるものは、外面的な長所である。彼らはどんな人に対しても、肩書、位階、着物、馬車などに物を言わせることを許すが、力量だけにはそれを許さない

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p021
   容易(たやす)く自分を買い戻すことのできる人間は、感謝の心を忘れる誘惑に陥ち易い。

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p042
   誰も彼らを救いに来るものはなかった。

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p050
   彼らの境遇に対する同情ある関心とともに、彼らの下劣な考え方に対する嫌悪によって心の底まで揺り動かされたヴィルヘルムは、自分の肉体の衰弱にも拘わらず、自分の魂の全活力を活き活きと感じた。

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p051
   どんな不幸でも我々に罪のない者を責め苛(さいな)む権利を与えるものではない。

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p053
   彼らは恥じた、然し慰められはしなかった

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p064
   憧れを知る人のみぞ
   我が悩みをこそ知らしめ!
   ただ一人、ありとある
   歓びに離れて、
   み空なる
   彼方を見やる。
   ああ、我を知り、我を愛する人は
   遠き遠き彼方にあり。
   我が眼は眩めき、
   我が腹綿は燃ゆる。
   憧れを知る人のみぞ
   我が悩みをこそ知らしめ!

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p065
   愛すべき守護神の優しい誘(いざな)いは、我々の主人公に行く道を教えないで、彼が前々から感じていた不安を育て上げ且つ募らせた。ひそかな炎が彼の脈管に忍び込んだ。定かなる又定かならざる像(すがた)が彼の魂の中で入り乱れて、無限の願望を刺激した。彼はある時は馬が、ある時は翼が欲しかった、然も彼は到底ここにはじっとしていられそうもないくせに、一体自分はどこへ行きたいというのかと今になって周囲(まわり)を見回した。

   遺憾にもそういうことは一つも起こらなかった。そうして彼は結局もう一度一人ぽっちに復ならなければならなかった、そうして彼が過ぎ去ったことを改めて考え直してみると、眺めれば眺めるほど、はっきりさせればさせるほど、事情は段々不快な堪え難いものになって来た。

   ☆我執は我々の徳をも我々の過誤をも、それが事実あるよりも遙かに大袈裟に見せるものである。

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p075
   そうして機会と名づける気楽な女神がその樹を揺さぶったら、果実(このみ)はたちどころに落ちてきたに違いない

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p090
   私はあなたが詩を、特に劇詩を判断なさる深い正しい眼光に驚嘆しているのです。作者の趣向のどんな深い淵でもあなたには隠されていない、作者の表現のどんな細かな相好でもあなたに注意されていないことはない。自然の中で嘗(かつ)てその物を御覧になったことがなくっても、あなたはその写しで真理を認識なさる。あなたの中には詩と調和的に接触することによって刺激され展開される、全世界の予感があるように見えます。というのは、まったくのところ」と彼女(アウレーリエ)は続けた、「あなたの中には外からは何も入ってこないからです。私はあなたみたいに自分と一緒に住んでいる人間を殆ど知らない。根本から誤解している方を見たことがない。失礼なことを申しますが、あなたのシェークスピアの説明を伺っていると、あなたはたった今、神々の会議の席から帰って来たばかりで、人間を作るに就いて、そこでどんなことが協議されたかをちゃんと聞いていらっしゃりでもしたように気がするのです。ところが、あなたがいろんな人たちとつき合っておいでのところを見ていると、あなたはまるで天地創造の最初に生まれた大きな赤ん坊みたいに見える、あなたは獅子でも猿でも羊でも象でもなんでも一緒くたにして、それを不思議な驚きと信心じみた人の善さとでポカンと見つめ、ともかくそういうものが自分たちと同じようにそこにいて動き廻っているという理由で、自分たちと同じものとして正直にそういうものに話しかけるのです」

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p092
   ヴィルヘルムも自分にはそういう欠点があることを認めるに吝(やぶさ)かではなかったが、然しその中には此方(こっち)を圧しつけるもの、のみならず此方を侮辱するものがあった、その為彼は口を噤(つぐ)み気持ちを引き締めた、一部は自分の不機嫌を相手に悟らせない為、一部はこの非難の真実を自分の腹の中で検討して見る為である。

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p102
   「なんて分からず屋だったんだろう」と私はよく自分に言いました、「ただそれが国民であるという理由で国民の悪口を言うなんて。一体個々の人間というものがそれほど面白いものでなければならないのか、面白いものであり得るのか。断じてそんなことはない!大勢の群集の間に多量の素質だの力量だの才能だのが分配されていて、それが好都合な状況によって展開され、卓越した人たちに指導されて一つの共同の最終目的に向かって進み得るものかどうかは問題である」

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p103
   私は一つの国民を楽屋に押し寄せて来るような錯乱した大衆によって判断したことを恥じました。

   さあ、あなた、あなたももう行く時刻になりました。

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p114-115
   ヴィルヘルムはすべてのものを自分が把握した概念から説明したがり、芸術を一つの関連の中で取り扱いたがった。彼は明白な規則を確立し、何が正しく、美しく、善であり喝采に値するかを決定したがった。一口に言えば、彼はすべてのものを最も厳粛に取り扱ったのである。反対にゼルロは事物を極めて軽く取り上げた、そうして彼は決して直接に問いには答えないで、何かの物語もしくは道化話によって極めて巧妙な極めて面白い説明を加え、人々を笑わせながら人々を教えることを心得ていたのである。

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p126
   女の涙がそれだけ殖えたって減ったって、そのため海の水嵩(みずかさ)が変わることはない筈です。

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p134
   ☆☆☆彼は一緒にこの地上の滞在を享受しているうちは人間が如何に無感覚にしばしば友達や身内の者を粗末にするものであるか、そうしてそんじょ美しい関係がすくなくともこの世では絶えてしまったその時になってやっと、如何にその粗末にしたことを後悔するものであるかを切実に感じた。

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p135
  然し悟性の発言は事実は一度きり然も極めて特殊な場合にのみ当てはまるもので、それを次の場合に適用しようとすると、もう正しいものではなくなってしまうのである。

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p143
   最も上流の人たちとつき合っている貴族にとっては、上流の礼儀作法を身につけることが義務になっている、然も彼にはどこでも門や扉が閉ざされることがなく、またそれが宮廷であれ軍隊であれ、彼は自分の風采と人柄とに相応の取り扱いしか受けないのだから、この礼儀作法は身についた自由な礼儀作法になっている、従って彼が風采と人柄とを重んじ、また自分がそれを重んじる者であることを人に示すのも当然である。

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p144
   彼が高い者に対しても低い者に対しても、友達に対しても身内に対しても、いつでも同じ態度であり得る時、彼は非の打ちどころのない人間となり、注文のつけようのない人間となる。彼は或いは冷たいかもしれない、然し物分かりがいい。猫をかぶっているかも知れない、然し賢明である。彼が自分の生活のあらゆる瞬間に外面的に自分を制御することを心得ているとすれば、それ以上の要求を彼に向かって持ち出す者はなんびともいない、そうして技量、才能、富などというふうな、彼が自分の身にそうして自分の身の回りに持っているすべての外のものは、単なる付加物に過ぎないように見えてしまう。
 「ここで君、そういう長所をいくらかでも持ちたいと考えている、或る市民がいると想像してみたまえ、彼は必ずそのことに失敗する、そうして彼の本性がそういうあり方をするに必要な才能と衝動とを彼に与えることが多ければ多いほど、彼は必ず一層不幸になるに違いない。

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p147
   然し例えばラーエルテス以外は、誰もヴィルヘルムに対して感謝の意を表する者はなかった。彼らは、」信頼することなしに要求しただけに、感謝することなく受け取った。

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p148
   ヴィルヘルムは当時まだ、自分の愛している女に、自分の崇拝している作家に、何か欠点があり得るということを、到底理解することができないというような、幸福な時期にあった。相手に対する我々の感情は一途で、自分自身と一致していて、相手の中にも同じように完全な調和があるものと考えなければならないのである。

   これに反して、ゼルロは好んで、のみか極端なまで選り好みをした。彼の鋭利な悟性は一つの芸術作品に於いて、仮令(たとえ)程度の差はあっても、大抵は不完全な全体だけを認めようとした。

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p149
   ヴィルヘルムは声を張った、「是は幹と大枝と小枝と葉と蕾と花と実なんだ。一つのものは外のものと一緒に、外のものの力で存在しているのじゃないか?」ゼルロは、食卓の上には樹全体を持って来ることはできないと、主張した。芸術家は黄金の果実を銀の皿に入れて客に出すべきである。

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p173
   人間の想像力を活動させることはやさしい、人間にお伽噺を聞かせて喜ばせることもやさしい、然しその人間に生産的な想像力というふうなものを煽り立てることは、なまやさしいことではない。

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p174
   だから君、役者の精神だの感情だののことを、あんまり突っ込んで言わないでおきたまえ!一番安全な方法は、僕らが仲間の者に何気ない顔で先ず言葉の意味を説明し、彼らの悟性を開いてやる点にある。そうすれば素質を持っている者なら、才気に溢れ感情に満ちた表現に自分から飛びついていく。素質のない者も、少なくとも決して全然間違った芝居だの台詞回しをやらないに違いない。役者の、役者に限らず一般に、一番不都合な僭上は、言葉がはっきり分かって自在に操れもしないうちから、精神がどうのこうのと言う点にある。

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p178
   殊に彼らは役者達に最も重要な点、即ち声高に人に聞こえるように口を利くことが彼らの義務であるということを、度々叩き込むことを怠らなかったのである。このことに就いては彼らは、彼らが初めに考えていたよりも、もっと多くの反抗と不機嫌とを見出した。多くの者は自分の話す通りに聴かれることを欲した、従って見物に聞こえるように話そうと努める者はあまりいなかった。二三の者は欠点を劇場に押しつけた。他の者は、自然に、こっそりと、若しくは濃やかに話さなければならないところを、喚き立てるわけには行かないじゃないかと言った。
 口では言えないほどの忍耐を持っていた我々の贔屓は、あらゆる方法でこの混迷を解きこの我執を征服することに努めた。彼らは事理を説くことも世辞を言うことも惜しまなかった、そうして最後には彼らの大目的を達した。

   この例から人は、人間というものは、いかに好んで自己流だけで自分の目的に到達したがるものであるか、事実は極めて自明のことを彼らに呑み込ませるのにどんなに骨が折れるものであるか、また何事か成し遂げたいと希望している人間に、その下にこそその計画が初めて可能になる第一条件を認識させることが、いかに困難なことであるかということを、会得することができる。

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p205
   予定の本読みの時刻がやって来た。人々は集った、然し全ての者は昨日の祝宴のお陰で不機嫌だった。ヴィルヘルムは、自分があれほど熱心に説いて廻った原則に最初から抵触しない為に、できるだけ自分の気を引き締めた。彼の異常な鍛錬がどこまでも彼の役に立った。というのは鍛錬と習慣とはあらゆる芸術に於いて、天才とむら気とがしばしば作り出す隙間をちゃんと埋めて行く筈のものだからである。

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p236
   全然(すっかり)は癒(なお)り切ることのない病弱な素質の者は、自分の中に真に宗教的な情調を育むように定められているのだから、そういう人間は実に幸福だと思う

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p240
   人は自分の動作で例えば威厳を示すようなことをしてはいけない−−−そうすると人はとかく形式張った人間になってしまう

   決して自分というものを忘れない、絶えず自他に対して注意を払って、自分を持する事が厳重で、多すぎもせず少なすぎもしない程度に他人の為に尽くし、何ものにも感動させられたように見えず、何ものにも動かされず、決して先走りをせず、如何なる瞬間でも自分を取り失うことがなく、こうして、たとえ内部はどのようにざわついていようとも、外部の平衡を保っていなくてはならない

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p258
   私は官能的に陽気に無我夢中に暮らしました、私は自分の気持ちを引き締めませんでした、お祈りをしませんでした、自分のことも紙のことも考えませんでした。然し私は私が大勢の綺麗な金持ちの立派な扮装(なり)をした男の人達のうちの誰も好きにならなかったことを摂理だと思っています。そういう人達はだらしのない然もそれを隠し立てしない人達でした、それが私を怯えさせました。その人達は自分達の会話を裏のある言葉で飾りたてました、それを私は侮辱に感じました。

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p276
   これらの経験が心持ちを和やかにするものであればあるほど、いよいよ頻繁に私はそれを繰り返そうと努めました、そうして私はその都度、私がそれをしばしば得ていたところで慰めを求めました。然し私はいつでも必ずそれを獲ることができたわけではありません−−−私は自分が太陽の光に暖まろうと思っているのに、陰を作るものが間にあって邪魔される人間のように思われました。「それはなんだろう?」と私は自分に訊ねました。私はこの問題を熱心に討究しました。そうして全ては自分の魂の素質から来るのだということにはっきり気がつきました。

   私はすぐに私の魂のまっすぐな方向が愚かな散心と無価値な事物へ係づらいとで妨げられているのだということを発見しました。

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p277
   それはそうと、全てがどうでもよく、もしくは気違いじみている世界にいて、どうしてそこから抜け出すか?できれば私は問題はそのまま放りっぱなしにして置いて、いかにも気楽そうに見える外の人達と同じに、出鱈目に生活して行きたいようにも思いました。然し私にはそれは許されませんでした。私の内部があまりにも屡私に反対するのです。社交界から身を引いて自分の関係を変えようとしても、それは私にはできませんでした。ともかく私は一つの圏内に封じ込められていたのでした。ある種の因縁から私は逃れることができませんでした、のみならず私にとって痛切な問題では、いろんな業が押し寄せ積み重なっていました。私はしばしば涙ながらに床に就き眠れない夜を明かしては、同じように床を離れました。私は力強い突っかい棒が欲しかった、然も神は私が道化帽をかぶって駆け回っている限り、それを私に貸してはくれませんでした。

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p280
   私は仮面を脱ぎ棄てて、いつでも自分の心臓の欲するままに振る舞いました。ナルツィスを私はかわらず濃やかに愛していました。然し前にはお湯の中に入れられていた寒暖計は、今自然の空気の中に懸けられたのです。それは、大気の温度以上に高く昇ることはできませんでした。

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p293
   私は神を持たずに生きていて、その人の心臓が見えざるものに対する信頼と愛に閉ざされている人達を、非常に不幸なものだと考えました、その人達にとっては地獄だの外面的な刑罰だのは、罰の先鋭化としてその人達を脅かすものであるよりも、寧ろその緩和を約束するものであるとしか私には思われないのです。

   私はこの世の中に、自分の胸の中に毒々しい感情を宿して置き、何らかの意味での善なるものに心を塞ぎ、自分にも他人にも悪を押しつけようとし、太陽が少しも光を放たないのだと言い張りたいばかりに昼日中眼を瞑(つむ)っていようとするような人間がもしいるのなら、見せて戴きたい−−−さおういう人間は私にとってあらゆる表現を絶してどんなに惨めに見えることでしょう!そういう人間の状態をこれ以上悪いものにする為に、誰が地獄を創造することができたでしょうか!

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p302
   然しどうすれば我々はこの評価を絶した幸福に与(あずか)ることができるか?「信仰によって」と聖書は我々に答えます。そんなら信仰とは何か?ある出来事の物語を真実だと思うこと、それが私に何の足しになるでしょうか?私はその物語の働きをその結果を自分のものにすることができなくてはならないのです。この自分のものにする信仰は一種独特な、自然な人間にとっては異常な心情の状態でなくてはなりません。

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p304
   然し今私はあの偉大な瞬間以来翼を得たのでした。私は前には私を脅かしたものの上を天翔ることができました。ちょうど小犬がおどおどと吠えながら立ち止まってしまう急流の上を、鳥が歌いながら楽々と翔(かけ)つて行くように。

   ああ私が黙り徹して、純粋な気分を自分の魂の中にしまい込んで置くように努めてさえいたら!ああ私が事情に誘惑されて自分の秘密をさらけ出すようなことさえしなかったら!そうしたら私は又しても非常な廻り路をせずに済んだ筈だったのです。

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p305
   私の魂は触手だけで眼を持っていなかったからです。魂は触るだけで見ないのです、ああ、それが眼を与えられ見ることを許されたら!

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p306
   常套語が一つもなにのでこちこちしたもの通俗のものを連想させることがありませんでした。

   私はこういう詩句を記憶に刻みつけ、幾日かの間自分をそういう心持ちにして置くことを非常に幸福に感じました。

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p310-311
   こういうデリケートな対象を扱う場合には、言葉によるとそれが暗示されるよりも寧ろ隠されてしまう、その精神に肉薄しました、然しそれ以外のことにはおとなしく辛抱して誰にもしたいままのことをさせて
置きました。

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p312
☆☆☆私はこれまで未だ嘗て欠点のない人間を見たことがありません。ただ欠点は勝れた人間のところで特に眼に立つだけです。

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p318-319
☆☆☆私は自分の欲しているものをはっきり知っており、絶えず前進し、自分の目的に達する手段を知り、それを取り上げそれを利用することを心得ている人間を尊敬するのだ。その目的が大きいとか小さいとか、賞賛に値するとか非難に値するとか、そういうことは私にはその後でしか問題にならない。

   災厄とか世の中で悪と名づけられているものとかの大部分は、単に人間が自分達の目的を知ろうともせず、よしそれを知っていたとしても真面目にそれを目がけて跳りかかって行こうとするにはあまりに怠け者であるところから来る。そういう人達は私には、塔を建てることもできるし、又建てられなければならないということも承知している癖に、その基礎にたかだか小屋の土台固めをするほどの石だ労力だのしか費やさない人間と同じように見える。

   自分の内面的な倫理的な本性を明らめることを最高の要請としているお前が、偉大な大胆な犠牲を払う代わりに、家族だの許婚だの或いは又夫だのの間に挟まってただその日その日を切り抜けて行くようなことでもしていたら、お前は屹度(きっと)自分自身との矛盾を永遠に感じて、ついに満足の時間を味わうことはなかったび違いない。

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P321
   こういう手合いは正に自分達だの自分達に似ている大衆だのこそ、自分達が要求している通りに書かれた本を読まない人間であるということ、自分達にとって真正の詩はまるで分からないものであるということ、いい芸術品でさえも人から吹き込まれたときだけ彼らの喝采を博するものだということを、少しも省察しない手合いなのだ。が、まあこんな話は打切りにしよう、今の場合悪口を言ったり不平を言ったりしている暇はないんだから。

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p322
   善良な心情は喜んで自然の中に神の指を見るものだ

   ちょっと見ては目眩がするような高い頂に立って天才が自由に楽しげに動いているのはどうして可能であるのかを理解する為には、才能のある人間が何世紀も何世紀もかかって積み上げて来たメカニズムと技術との面倒な段階に先ず通じなければならない

☆☆☆一人ぼっちで自分の中だけに閉じこもって倫理的な形式に耽るのはよくない

   悪趣味な戯れに打ち込み、自分のより高貴な本性を堕落させるようなことになって、自分の精神的な高みから滑り落ちる危険

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p329
☆☆☆いつもの父にはなかった朗らかさ、それは溌剌とした歓びにまでも高められた朗らかさで、彼は私に言いました−−−「私がこれまで感じていた死の恐怖はどこへ行ってしまったのだろう?私は死ぬことを恐れなければいけないのか?私は恵み深き神を持っている、墓は少しも私を怖ろしがらせることがない、私は永遠の生を持っている」

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p338
☆☆☆なんと言おうと実際的な世界では如何なる人間も寛容ではない!というのは自分は誰にでも喜んでその人の流儀と本性とのままにさせておくのだといくら確言しても、その人は自分のようにには考えない人達を実行上は必ず排斥しようとするものだからです。

−−−ヴィルヘルム・マイステルの徒弟時代(中)2013/04/06