ゲーテとの対話 (下)

旧字・旧仮名遣いは改めました。また、漢字変換の煩雑を避けるために、一部、送り仮名や漢字が原書と異なるものもあります。

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P42
 「要するに、」とゲーテはつづけた、「シェークスピアの偉大さの多くは、その力強い偉大な時代から生まれたものなのだ。このことを信じようとしない者は、1824年の今日のイギリスいおいて、この侃々諤々の分裂したジャーナリズムの横行する悪い時代に、あのような驚嘆すべき人物の出現がはたして可能であるかどうか自問してみればよいのさ。
 「偉大なものは、ひたむきで、純真な、夢遊病者のような想像力によってのみ生み出されるものなのだが、そういう想像はもうまったく不可能になっている。今日の才能ある者たちは、みんな大衆の前にさらされている。毎日50もの都市で発行されている評論紙や、それをめぐって大衆の間でかわされる饒舌は、なんら健全なものをもたらしていない。今日では、そんなものからすっかり身を引いて、無理をしてでも孤立しないかぎり、駄目になってしまうよ。たしかに、低俗で、大部分は否定的なジャーナリズムの文芸批評によって、一種中途半端な文化が大衆の間に出現しているけれども、それは、ものを産み出す才能にとっては有害な霧であり、その想像力の幹の上にふりかかって、その緑葉の装飾から一番奥の心髄、一番奥にひそんだ繊維にいたるまで破壊しつくしてしまう毒なのさ。
 「その上、このくだらない数百年の間に、生活自体がなんと手垢にまみれ、虚弱になってしまったことだろう!どこへ行けば、今なお独創的な天才が素っ裸でわれわれを迎えてくれるというのか!こうしたことはまた詩人にはねかえって行く。外界から詩人は完全に見捨てられるから、詩人は一切を自分自身の内に見出さなければならないのだ。」

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 P43
 「あれもやはり」とゲーテはいった、「私がペリカンのように、私自身の心臓の血であれを育てた。あの中には、私自身の胸の内からほとばしり出たものがたくさんつまっているし、感情や思想がいっぱい入っている。〜 、あの本は出版以来たった一度しか読み返していないよ。そしてもう二度と読んだりしないように用心している。あれは、まったく業火そのものだ!近づくのが気味悪いね。私は、あれを産み出した病的な状態を追体験するのが恐ろしいのさ。」

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 P43の2つ目 エッカーマンがゲーテにナポレオンとの対話について尋ねる
 「ナポレオンは、」と私はいった、「あなたに『ヴェルテル』の中のある一節をを示し、それが鋭い吟味にあうと耐えきれないだろう、といっており、あなたもまたそれには同意しておられます。〜 ―――「当ててみたまえ!」 〜 打明けないほうがよいと思う。〜
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 P44
 個人的な身辺の事情が、私を急き立て、私を悩ませ、私を『ヴェルテル』が生まれたあの心理状態へひっぱりこんだのだ。私は生きた、愛した、ひどく悩んだ!―――それがあの小説だ。
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 P44〜45
 個人は誰でも生まれながらの自由な自然の心を持って、古くさい世界の窮屈な形式に順応することを学ばなければならないのだ。幸福が妨げられ、活動がはばまれ、願望が満たされないのは、ある特定の時代の欠陥ではなく、すべて個々の人間の不幸なのだよ。誰でも生涯に一度は『ヴェルテル』がまるで自分ひとりのために書かれたように思われる時期を持てないとしたらみじめなことだろう。」
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 P56
 どんなものにも限度があり限界というものがある。私が、すでに『ゲッツ』の中で書いたとおり、小忰が学問ばかりやっていると、自分の父親の顔も見分けがつかなくなるものだ
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 P65
 私は、豪華な装飾や派手な楽屋などには目もくれず、ひたすら優秀な脚本に目をかけた。上は悲劇から下は茶番にいたるまで、どんな形式のものでも結構だ。しかし、その脚本は天分に恵まれたものでなければならぬ。偉大で才能豊かなもの、明るくて優美なもの、しかもどんなときでも健全であることと、何らかの核心のあることが必要だった。病的なもの、虚弱なもの、お涙頂戴もの、感傷的なもの、また恐怖もの、残酷もの、良俗を害するものは、すべてはじめから閉め出した。そういうものによって俳優と観衆が堕落するおそれがあったからだよ。
 〜
また、私は俳優たちとたえず個人的に接した。本読みの指導もし、ひとりひとりにその役柄を説明した。本稽古のときには出席して、もっと良くするにはどうしたらよいかを連中と話し合った。上演されてからも欠かさず見に行って、まずいと思う点はすべて翌日注意してやった。
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 P67
 「厳しくやればかなりの効果はあがるが、愛情をもってした方が、もっとききめがある、」とゲーテは答えた、「しかし一番いいのは、見識をもち、だれにも組みしない公平な立場をとり、人をわけへだてしないということだよ。
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 P75
 私の『イフィゲーニエ』とか『タッソー』を上演して、たしかに私に敬意を表してはくれた。しかしながら、何回演ったというのだ?せいぜい三、四年に一回だよ。観衆は、退屈だという。じつにもっともなことだ。俳優たちは、こうした脚本を演ずるだけの訓練を受けていないし、観衆にも、それを聞くだけの訓練がない。もし俳優が、何度も繰り返しその役をこなし、まるきり練習などしなくても、すべてが彼自身の心から自然に湧き出てくるみたいに、生きいきと演じられるようになれば、観衆だっていつまでもおもしろくもなく、感動もしないというわけではあるまい。
 「私はかつて、ドイツ劇場というものを建設できる、という妄想にじっさいにとらわれていた。それどころか、私自身がそれに貢献して、そうした運動の礎になれるという妄想に駆られたものさ。私は、『イフィゲーニエ』や『タッソー』を書き、これでうまく行くだろうと、子供じみた希望に浸っていた。けれども、泰山鳴動して鼠一匹のたぐいで、すべては以前のままだった。私が感動を巻きおこし喝采をあびていたのなら、君たちのために『イフィゲーニエ』や『タッソー』のような作品を一ダースも書いてあげただろうな。材料には困らなかったからね。しかし、今も言ったように、役者がいなかったのだ。連中は、そういうようなものを精魂こめて演れなかったのだよ。また、観衆もいなかった。つまり、そのようなものに感動する耳と心を持っているような観衆がね。」
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 P77
 何よりも、自分を統御しているかどうかを調べてみた。というのも、自制心を持たず、他人に向かってもっとも具合よく自分を見せることのできないような俳優は、所詮才能に恵まれているとはいえないからね。俳優という職業は、たえず自分自身を否定し、たえず他人の仮面をかぶって生きたり死んだりする必要があるのだよ。
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 P79
 「平凡な脚本なら、平凡な俳優を割り振ればよいなどと考えるのは、大きな誤りだね。」と彼はいた、「二流、三流の脚本も、一流の力ある配役によって、信じがたいほど高められ、じつにすばらしいものとなるのだよ。けれども、もし、私が二流三流の脚本の配役に二流三流の俳優をあてたら、全くお話にならない結果に終わったとしても、別に不思議がるには及ばないね。
 「二流どころの俳優は、偉大な作品に出演した場合は、全く立派なものだ。彼らは、そこで、絵画の場合に似た動きをして、つまり、半影の中にある像が光を全身に浴びている像を一段と力強く浮かび上がらせるという実に見事な役割を演じているのだからね。」
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 P80
 (エッカーマン)
 どんな方面においても、彼はとどまることを知らない。彼は、つねに前へ、前へと進もうとする。たえず学びに学んでいる。そして、まさにそのことによって、永遠にいつも変わらぬ青春の人であることを示してくれるのだ。
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 P82~83
 私はあらゆる暴力的な革命を憎むのだ。そのさい良いものが得られるとしても、それと同じくらい良いものが破壊されてしまうからだよ。私は、革命を実行する人びとを憎むが、またその原因をつくり出す人びとも憎む。けれども、だからといってどうして私が民衆の友でなくなるだろうか?一体正しい考えをもった人なら、誰にせよ、私と同じように考えるのではないだろうか?われわれに未来を約束してくれるような改革だったらどんなものでも、私がどんなに好んでいるか、君も知っての通りだよ。けれども、今さっきいったように、暴力的なことや突飛なことはすべて私の性に合わないのだ。それは、自然に適っていないからね。
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 P85~87抜粋
 (エッカーマン)
 変更になった劇場建設のことが、まさきに私たちの話題になった。前にも述べたとおり、私はこの不意打ちがゲーテの心を深く害したのではないかと恐れていた。ところが、そんな様子は微塵もない。彼はこの上なくおだやかで、気分爽快であり、つまらぬことにはいっさい神経をつかっていなかった。
 「彼らは、」と彼はいった、「建築設計を変更すれば、大いに経費が浮いてくるといって、大公に取入り、それが功を奏した。たいへん結構なことさ。新しい劇場だって、結局、いわば薪の山にすぎないからね。早晩、またふとしたことから焼けてしまうだろう。それが、私の慰めだ。要するに、目くそ鼻くそのちがいなど取り立てていうほどのこともないさ。私の望みどおり考え通りに行かなくても、君たちは、相当ましな小屋を持つことできるだろう。君たちはその木戸をくくぐだろうし、私もまたそこへ出かけるだろう。それで、結局、万事めでたしめでたしさ。」
 「大公は、」とゲーテはつづけた、「私に対して、劇場が建築学的に豪華な作品である必要は少しもない、というお考えをお話になった。もちろん、この限りではまずまず何も異論がない。大公はさらに、劇場は何といっても金を稼ぐという目的をもった小屋にすぎない、とおっしゃった。このご意見は、ちょっと聞くと、いささか実利的なきらいがある。けれども、よくよく考えてみると、一段と高い見方をしておられるといえるかもしれない。なぜなら、劇場はただ費用を取り戻すだけでなく、さらに金を残し、金を儲けるものだ。だからこそ、なにからなにまで抜群のものにしなければならぬ。一流監督の指導を仰ぎ、俳優もトップ・クラスをそろえねばならない。そして、良い脚本をたえず上演することだ。そうすれば、いつまでも魅力は尽きず、連日連夜、大入り満員になるにちがいない。しかしながら、わずかなお言葉でひじょうに含蓄のあることをおっしゃったので、なかなか理解するのに骨が折れるよ。」
 〜
 「シェークスピアやモリエールも、」とゲーテは答えた、「同じ考えだった。二人とも、自分の劇場によって何よりもまず金を儲けたかった。けれども、この肝心の目的を果たすには、すべてをたえず最良の状態におき、昔からの当り狂言と並べて、随分おもしろい魅力あるすぐれた新作を上演するように努めねばならなかった。『タルチョフ』の禁止は、モリエールにとって、晴天の霹靂だった。―――が、それは、詩人としてよりも監督としてのモリエールにとって、いっそうこたえたのだ。彼は、あの有意義な一座の繁栄をはかり、自分著一座の人々のために生活の面倒を見なければならなかったからね。
 「劇場の繁栄にとって何より危険なのは、」とゲーテはつづけた、「監督自身、現金収入が多いか少ないかをさして気に病む必要もなく、気苦労のない安定した生活を送れるような状態にある時だ。つまり、劇場会計の年間収入で欠損になった分を、年度末に他の財源でおぎなえるようなばあいだね。個人的な利害得失に追い回されていないと、安易な仕事をするというのは、どうやら人間の本性らしい。目下のところ、ヴァイマルのような町の劇場を独立採算にしろとか、国家予算からの年々の補助は必要でないとかを望むのは無理だ。けれども、ものにはみな限度がある。年間千ターレルの増減がどう転んでもいいというわけではない。とりわけ、劇場の収入が減れば、質が悪くなるというのは自然の成り行きだし、そのために金を逃すだけではなく、同時に名誉まで失うことになるよ。

***タルチェフ***金満家のオルゴンは,自称零落貴族のタルチュフを信頼して家政を任せ,娘と結婚させようとまでする.タルチュフはといえば敬虔な信心家をよそおってオルゴンをたぶらかし,財産横領を策し,妻君にも言いよるという始末.ルイ十四世時代の社会を痛烈に諷刺したこの喜劇でモリエール(一六二二―七三)は偽善者の典型を創造した.
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 P109
 そこで、もういちど言おう。アメリカ合衆国にとって、メキシコ湾から太平洋へ通ずる開鑿を実現することは、必要欠くべからざることなのだ。私は、合衆国がそれを達成すると確信しているよ。」
 「私は、生きているうちにそれを見たいな。けれども、かなえられぬことだろう。二番目に、私は、ドナウ川とライン川の連結を見ておきたいよ。けれども、これは、やはり巨大な事業だから、完成するかどうか疑問に思われる。とくに、わがドイツの財力から考えるとね。最後に、三番目に、私は、イギリスがスエズ運河をものにするのを見ておきたい。この三つの大事業を、私の眼の黒いうちに経験してみたいものさ。っして、そのためなら、あと五十ほど我慢して生きても、それだけの値打ちがあるというものだね。」
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 P121
 「ただ否定できないのは、」とゲーテはつづけた、「シュレーゲルがとてつもなくいろんなことを知っている点だ。彼の異常な博識ぶりと膨大な読書量というものは、驚くばかりだ。けれども、それだけでは不十分なのだ。どんなに学識を備えていようとも、批評家にはなれない。彼の評論は、まったく型にはまっている。彼はどんな戯曲を扱う場合にも、ほとんどその話の骨組みと構成だけに目を向け、いつも偉大な先輩とのこまごました類似点を証明しているにすぎない。そして、作者が、その高邁な精神からくる優雅な生活や教養によって、われわれに何をもたらしてくれるかという点については、一向に気を配っていない。だが、ある戯曲を読んでいながら、作者の愛すべき個性、偉大な個性に打たれないとしたら、どんな天才の芸術も何の役にも立たないのだ。これだけが、民族の文化に寄与するものなのだからな。
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 P122
 「それでも、シェークスピアやカルデロンになると、」と私は口を挟んだ、「彼も正しく扱っていますね。その上、じつに愛着を持っていることもたしかです。」

 「この二人なら、」とゲーテは答えた、「もちろん、どれほどその良さをほめてもほめきれないからね。また、彼はアイスキュロスやソフォクレスに対しても、正当な評価をしている。しかし、これは、彼らのじつに非凡な価値を心から確信しているからではなさそうだ。むしろ、言語学者のあいだで、二人を高く評価するのが通例となっているために、枯れも評価しているのだと思われる。なぜなら、結局、シュレーゲルのような小人には、こういう大天才は理解の及ばぬ存在だし、適切に評価することなど思いもよらないのだよ。もし適切な評価ができたなら、彼は、エウリピデスに対しても正しい評価をしたにちがいない。そして、彼が実際に行ったのとはまるでちがった扱いをしたはずだ。けれども、エウリピデスについて、言語学者がとくに敬意を払っていないことを彼は知っていた。だから、その大きな権威の上に乗っかれば、この偉大な古代人をこっぴどく貶め(おとしめ)、できるかぎり偉そうなお説教がぶてるというわけで、けっこういい気持ちで書いているのさ。
 「私は、エウリピデスに欠点がるという意見に反対ではない。けれども、彼はやはりソフォクレスとアイスキュロスの大変名誉あるライバルなのだ。たとえ、彼が、二人の先輩のように高尚な真剣さや厳密な技巧的完成を示していないとしても、その反対に、劇詩人としていささか締まりがなく、人情もろい調子になっているとしても、おそらくそれは、彼がアテナイ人を十分に知り抜いていて、同時代人に拍子を合わせたこういう調べこそ正しいものだとわかっていたからなのだ。しかし、この詩人は、ソクラテスから友と呼ばれ、アリストテレスに尊敬され、メナンドロスが讃歎し、彼の死の報せに接した時には、ソフォクレスもアテナイ市民も喪に服したというのだから、事実、傑物であったにちがいない。シュレーゲルのような現代人が、これほど偉大な古代人の欠点を咎め立てるというのなら、まず恭しくあがめながらやるのが当たりまえだろう。」
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 P127
 道徳的な美や善の値打ちは、体験を積み、知恵を磨いてはじめて自覚されるようになったのだ。

 「すべての気高いものは、」と彼はいった、「それ自体おだやかな性質で、眠っているように見えるものだ。しかし、ひとたび抵抗に出会うと目覚めて、立ち上がる。
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 P128
 「偉大な劇作家は、」とゲーテはいった、「もし、彼が創造的であると同時に、強い高尚な意見を心に抱いていて、それが全作品に一貫しているなら、彼の作品の魂を全民族の魂とすることもできるだろう。思うに、それは苦労のし甲斐のあることだな。コルネイユから生じた影響は、英雄の魂をつくり出すことまでできた。これは、英雄的な民族を求めていたナポレオンにとって大切なことだった。だから、ナポレオンは、コルネイユについて、彼が生きていたら、王侯にしてやったのに、といったわけだ。自らの使命を自覚している劇作家は、不断に一層高い自己発展のために精を出すべきで、そうすれば、彼が民族に及ぼす影響は、。有益で高尚なものになることだろう。
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 P129
 何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた作品を持つ過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。

 P129〜130
 駄目な奴は、もちろんいつまでたっても駄目だ。小才(こさい)しかない人間は、古代の偉大な精神に毎日接したところで、少しも大きくはならないだろう。だが、将来偉大な人物となり、崇高な精神の持ち主となるべき力を、その魂の中に耶蘇しているような気高い人物ならば、古代ギリシャやローマの崇高な天才たちと親しく交わり、付き合ううちに、この上なく見事な進歩をとげ、日々に目に見えて成長し、ついにはそれと比肩するほどの偉大さに到達するだろう。
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 P132
 風や暴風雨から楽々と守られて成長するようでは、樫の木もたいしたものにはならない。しかし、自然の力と百年も戦っていれば、じつに強くたくましくなって、完全に成長した時には、われわれを驚嘆させるものになるのだよ。
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 P137
 芸術家は、世界に向かって一つの全体を通して語りかけようとする。けれども、そういう全体は、自然の中には見つからないものさ。彼自身の精神からの結実なのだよ。
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 P139
 このマクダッフ(マクベスの登場人物)の言葉は、夫人の言葉と矛盾している。しかし、シェークスピアは、気にもかけていない。彼にとっては、一つ一つの台詞の迫力が問題なのだ。そこで、夫人は語調を極度に強めるために、『妾は、乳をふくませて子供を育てた。』といわざるをえないし、マクダッフも、同じ理由で、『あいつには、子供がいないんだ。』といわざるをえない。
 「一般に、」とゲーテはつづけた、「画家の筆さばきや詩人の言葉を、こんなにこまごまとあげつらうべきではないのだ。それよりもむしろ、自由奔放な精神によってつくられた芸術作品なのだから、われわれもできるだけ自由奔放な精神によって、それを矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)楽しんだほうがいのさ。
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 P140
 シェークスピアがねらったのは、ただひたすら、それぞれの場面にぴったりした効果的な名文句を自分の登場人物に語らせることなのだ。その文句が他の場面に行って、明らかな矛盾に陥るのじゃなかろうか、などということは、たいして気にかけてはいなかったし、計算もしていなかった。
 「およそシェークスピアは、作品を書いているときに、それが活字になって他人に見られ、検討され、相互に比較され、評価されるなどとは考えてみたこともなかった。むしろ、彼は、書きながら舞台を眼に浮かべていた。彼は自分の作品を、動いていくもの、生きているものとして見ており、それは舞台の上から客席の目と耳をすばやく流れていき、繋ぎとめることもあら探しをすることもできないようなものだ。そして、重要な点は、つねにそのときどきの瞬間に効果があがり、意味がありさえすればよかったということなのだ。
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 P141
 イバラから葡萄を、アザミからイチジクを得ようとしてはいけない。
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 P142〜143
 彼が『タッソー』を、高められた「ヴェルテル』と呼んでいるのは、まことに言いえて妙だね。
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 P145〜146
 このベランジュ自身が、パリで生まれ、この国際都市で成長したとは思わないで、かりにイェーナかヴァイマルの貧乏な仕立て屋の息子だと考えてみたまえ。そして、彼が、生涯そういうちっぽけな場所で貧苦に喘ぎながら暮らしたと考えてみるがいい。こういう土地柄で、こういう雰囲気の中で育ったとすれば、この同じ木には、一体どんな実がなるだろうか、考えてみるがいいよ。

 一人の天才が急速にのびのびと成長するには、国民の中に精神と教養がたっぷりと普及していることが大切なのだ。
 「私たちは、古代ギリシャの悲劇に驚嘆する、けれども、よくよく考えてみれば、個々の作者よりも、むしろ、その作品を可能ならしめたあの時代と国民に驚嘆すべきなのだ。
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 P198
 「私も、恋愛詩や『ヴェルテル』を二度とは作らなかったよ。非凡なものを生み出すあの天来の開悟というものは、つねに青春や生産力と結びついているのだよ。現にナポレオンがそうで、彼はこれまでに現れた最も生産的な人間の一人だった。
 「そうだ、そのとおりだ、君、なにも詩や芝居を作ることだけが生産的ではないのだよ。行為という生産性だってあるのだ。多くのばあい、この方がはるかに有意義なのだよ。
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 P202〜203
 役に立つ才能豊かな人材をみとめて登用するということは、傑物にしてはじめてできることだ。なぜなら、なんといっても類は友を呼び、自分自身偉大な才能を備えている君主だけが、またその臣下や従僕の偉大な才能をそれ相応に認め、評価できるにちがいないからだ。『人材に道をひらけ!』とは、ナポレオンの有名な金言であったが、もちろん、彼はその部下の抜てきに、じつに独特の手腕をふるい、適材を適所に用いることを心得ていたので、生涯どんな大事業をなすにあたっても、ほとんど他に類がないほど部下をそろえていたよ。
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 P203
 エッカーマン: 彼の天性のもっとも高貴な部分が彼の心の中で生きいきと動いているようだった。それと同時に、声の響きにも目の輝きにも、まるでこよない青春時代の炎があかあかと燃えさかっているみたいに、力にあふれていた。これほどの高齢で、なおも重職についている彼が、これほどじつにきっぱりと青年を擁護し、国家の枢要の地位には、たとえ青年でなくても、まだ血気さかんな年齢の人物をつけたいと望んでいるとは、私には不思議に思えた。

  ゲーテ: ほかの人々には青春は一回しかないが、この人びとには、反復する思春期があるのだね。
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 P207
 詩人がアルコールの類を飲んで、欠乏した生産力を無理にひっぱり出そうとしたり、それによって不十分な生産力を高めようとしたりすると、むろんそれはやってできないこともあるまいが、そんな方法でいわば無理に書き上げた場面には、すべてそれが看取されて、大きな欠陥となるものだよ。
 「だから、私がすすめたいのは、けっして無理をしないことだ、生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていたほうがいいよ。そんな時にものを書いたって、後で、いやな思いをするだけだからね。」
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 P213
 「人間の本性には、不思議な力があるものだ。」とゲーテは答えた、「われわれがもうほとんど希望を失ってしまったときにかぎって、われわれにとって良いことが準備されるのだよ。私の生涯にも、涙にくれて眠り込むような時が幾たびかあった。けれども、そのとき、夢の中にまことに愛らしい姿が現れて、私を慰め、よろこばせてくれた。だから、翌朝は、ふたたび元気になって、嬉々として起き上がったものだ。
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 P214
 「わが国でも田舎の人たちは、」とゲーテは答えた、「もちろん、つねにたくましい力を持ち続けている。そしておそらくまだまだ有能な騎兵を供給してくれる望みがあるが、それだけでなく、われわれを完全な破滅や堕落からも守ってくれるかもしれない。それは没落しつつある人類の諸力をたえず補充し、蘇らす貯蔵所の観がある。---しかし、ひとたびドイツの大都会へ行ってみたまえ。君は違った空気を感じるだろう。いちど第二のびっこの悪魔(1707、ル・サージュの社会風刺小説)、商売大繁盛の医者と交際してみるがいい。君に色々な事を囁いてくれるだろう。そして君は、人間の本性に巣喰い、社会を悩ませている悲惨や不幸に驚いて、唖然となることだろう。」
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 P216
 時には、完全な馬鹿もいるさ。私は、それを全く認めるよ。しかし、馬鹿も完全な馬鹿となれば、それはそれでたいしたものだ。自然という天秤にかければ、つねにかなりの重さがあるさ。
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 P217-219
 彼らと話しだすと、いやでもすぐに気のつくことがある。こちらが楽しく思うものは、彼らにとっては、無駄なもの、つまらないものに思われ、彼らときたら、まったく観念の虜になっていて、思弁の最高問題だけが興味の対象になるということだ。健康な官能や官能的なものに対する喜びなど、彼らには微塵もなく、あらゆる青春の感情やあらゆる青春の快楽は、すっかりなくなっていて、しかも、それは取り返しようもないほどだよ。というのも、二十歳にして若さがないのだから、四十歳で若返れるはずがないだろう!」
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 P218-219
 「第二の救世主が出現して、」と私は言った、「現代の状況の苛酷さ、不快さ、ものすごい圧迫をなんとしても取り払ってほしいものです。」 「第二の救世主が現れたところで、」とゲーテは答えた、「またぞろ、十字架にかけられるだろうよ。しかし、私たちは、それほど大きなことは必要ではない。ただ、イギリス人を範として、ドイツ人から哲学をもっと減らし、活動力をもっと多く養い、理論をもっと少なくして、実践をもっと重んずるようにできれば、それだけでも、われわれはかなり救済されて、第二のキリストのような聖人の出現を求めるまでもないだろうな。下からは、民衆の手で、学校や家庭教育を通じて、上からは、君主やその側近を通じて、ひとかどのことができるだろう。」 
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  P219
  「それにまた、人間を取り扱うお役人の生活には、愛情と善意が必要ではないだろうか?---ところが自分自身の気分が悪いとき、どうして他人に対して善意を感じたり、善意を及ぼしたりするだろうかね?」
  「けれども、現状は、すべての人びとにとって、まことに不幸だ。机にかじりっつきぱなしの学者やお役人の三分の一は、体をこわしていて、憂鬱症(ヒポコンデリー)という悪魔にとりつかれている始末だ。せめて、これからの世代の人びとを同じような破滅から守るためには、上からの働きかけがどうしても必要になるだろう。」
  「それはさておき、」とゲーテはにこにこ笑いながら付け加えた、「一世紀ばかりしたら、われわれドイツ人はどんなになっているか、次に、もはや抽象的な学者や哲学者ではなくなって、うまいぐあいに人間になってくれているだろうか、まあそれを楽しみに待つとしようよ。」
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 P227
 ---だが、君にはわかるだろうか。世の中というものは、われわれの考えたり望んでいるほどには、早く目的に到達しないものだ。いつも、悪魔がそこいらでぐずぐずしていて、至るところで割りこんで来ては邪魔をする。だから、全体としてはたしかに進歩しているのだが、それは、とてもゆっくりなのだ。まあ、君もこれから長生きすることだ。そうすれば、きっと私の言うことに思い当たるふしがあるだろうよ。」
 
 〜

 人類がどれほど長く続くとしても、人類を悩ます邪魔物はけっしてなくならないだろうし、結局は人類の力を伸ばすことになるいろいろな苦難は後を絶つまい。
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 P234
 「薪が燃えるのは、その中に燃える要素を持っているからだ。人間が名を著すのは、その人に有名になる素質が備わっているからだよ。名声は求めて得られるものではない。それをどんなに追い廻したところで、無駄さ。利口に立ちまわって、いろいろと策を弄し、まあ一種の名声を挙げることはできるかもしれないが、心の中に宝石がなければそれは空しいもので、永つづきするはずもないよ。
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 P242
 私は、ゲーテの前で朗読しようと思って、『パリへの旅』の第一章を一緒に持ってきていた。だが、彼はそれをひとりで読むことを望んだ。
 そこで彼は、読書のむずかしさに触れ、多くの人は、愚かにも、まったく予習もせず、予備知識も持たずに、いきなり哲学書や科学書を、まるで小説同然に読もうとする、と言ってからかった。
 「みなさんは、」と彼はつづけた、「本の読みかたを学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかをご存知ない。私は、そのために八十年を費やしたよ。そして、まだ今でも目的に到達しているとはいえないな。」
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 P247
 生活の仕方に一種の規則性と確固たる原則を持っていて、思慮深くて、人生の出来事をいいかげんにあしらわないような傑物は、皮相な見方しかしない連中の目に、えてしてペダントリーとして映るものだ。
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☆P249
 「本物の自由主義者は、」と彼はつづけた、「自分の使いこなせる手段によって、いつもできる範囲で、良いことを実行しようとするものだ。しかし、必要悪を、力づくですぐに根絶しようとはしない。彼は、懸命な進歩を通じて、少しずつ社会の欠陥を取り除こうとする。暴力的な方法によって、同時に同量の良いことを駄目にするようなことはしない。彼は、このつねに不完全な世界においては、時と状況に恵まれて、より良いものを獲得できるまで、ある程度の善で満足するのだよ。」
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 P251
 孤独な道を行く私には、まだこれという同伴者も見つけられない。私は、いつまでも一人ぽっちだろう。---私は、自分を、たった一人しか乗せられない板切れにつかまっている難破船の男のように思うことがある。この一人だけは、他のみんなが溺れ死んでも、助かるのだがね。
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 P263
 「いかなる革命のばあいにも、」と彼はいった、「極端になるのは避けられない。政治革命のばあい、人びとは最初さまざまな不法を是正することだけを要求する。しかし、あっという間に、流血の惨事に突っ込んでしまう。それと同じで、現に文学の?覆をはかっているフランス人たちも、最初は形式の自由だけを求めていたが、今やそれだけに止まっていない。彼らは、形式とともに今までの内容も非難している。高貴な精神と行動を退屈だと公言し始め、さまざまな悪行を取り扱おうとしている。ギリシャ神話の美しい内容の代わりに、悪魔や魔女や吸血鬼が登場し、古代の気高い英雄たちは、ペテン師や大型船を撓ぐ(こぐ)奴隷に取って代られるにちがいない。こういうものは、刺激が強い。効果がある。---しかし、大衆は、こうした胡椒のきいた食物を一度味わい、それに慣れてしまうと、だんだん多くのもの、刺激の強いものをほしがるようになる。活躍して認められようとはしているが、まだわが道を行くというほどになっていない若い才能のある人は、時代の好みに自分を適応させなければならない。それどころか、物凄いもの、戦慄すべきものにおいては、先輩を追い越すよう努めねばならない。しかし、こういう表面的な効果のある題材を追いかけていると、いっそう深い研究や、才能と人格の段階的で徹底的な開発は、まったくおろそかになってしまう。これこそ、才能ある人にとっては、最大の損害だ。たとえ、文学全般が、この一時的な傾向から得るところがあるとしてもね。」
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 「私が、極端とか奇形とか呼ぶものは、」と、ゲーテは答えた、「やがて消えていくだろう。しかし、最後には、とても大きな利益が残るだろう。つまり、自由な形式とともに豊富にして種々様々な内容が獲得され、広大無辺な世界と複雑な人生のいかなる題材も、もはや詩的でないとして排除されることはなくなるだろう。 
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 P269
 それにまた、猫も杓子も同じ方法で祖国に奉仕するわけにもいかないのだ。神の与え給うたところに従って、めいめいが自分の最善を尽くせばいいのだ。私は、五十年このかた骨身を惜しまず働いてきた。自然が自分の日課と決めてくれたことに夜も昼も熱中し、うまずたゆまず、たえず努力・研究し、できるだけのことをしてきた、といえよう。めいめい一人ひとりが自分についてこういえたら、すべてがうまくいくのだろうね。」
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☆P269-270
 もし私がどれほど悩んできたか知りたければ、私の『クセーニエン』を読んでみたまえ。そうすれば、私の反撃を通じて、人びとが私の生活を入れかわりたちかわり傷めつけようとしたことがわかるだろう。
 「ドイツの作家とは、ドイツの殉難者のことだ!---そうだろう!君!君だってそうだと思うだろう!それでも、私なんかは、まだ不平をこぼしては申しわけない。ほかの人たちだって私よりましではないのだ。それどころか、たいていは、私よりもっとひどいな。イギリスでもフランスでも、わが国と全く似たりよったりさ。モリエールはどんなに苦しんだことか!ルソーとヴォルテールがどんな目に会ったか!バイロンは、毒舌にかかってイギリスから追い出された。もし、夭逝によって俗物どもとその憎悪から逃れることにならなかったら、しまいには、世界の果てまでも逃げて行っただろう。

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『クセーニエン』1796年 詩集(Xenien)シラーとの共同制作、2行連詩形式(エピグラム)によって当時の文壇を辛辣に批評し、2人はドイツ文学における古典主義時代を確立していくことになった。
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You cannot hope to bribe or twist, thank God! the British journalist.
But, seeing what the man will do unbribed, there's no occasion to.
Humbert Wolfe
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☆P270 *
 猫も杓子も、ほかの者を誹謗し、いがみ合おうとしているが、世の中というのは、平和に暮らして働いていくには、十分広くて大きいのだよ。それなのに、めいめいが、自分自身の才能といういわば獅子身中の虫のほかに、ごていねいにも敵をつくり出しているのだからね。
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 P270 **
 「戦の歌を書きながら、部屋の中に座っている!---こんなことが私にできただろうか! ---夜、敵の斥候の馬のいななきが聞こえる露営の中でなら、私だって喜んで書けたかもしれない!しかし、それは、私の生活でもなければ、私の領分でもなかった。
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☆P271
 「私は、いまだかって自分の詩を飾ったことはない。---自分の体験しなかったこと、痛切に感じもせず、苦しみもしなかったことを、詩に書いたり、口にしたりしたこともない。恋愛しているときには、恋愛詩だけを作った。憎しみも持たずに、どうして憎しみの歌が書けようか!
 ---ところでここだけの話だが、私は、フランス人の支配から解放された時には、神に感謝したものの、フランス人を憎んではいなかった。また、文化と野蛮の問題だけを重視している私にとっては、地上で最も文化の進んだ国の一つであり、私自身の教養の大部分がそのお陰をこうむっている国民を、どうして憎めただろう!」
 「とにかく、」とゲーテはつづけた。「国民的憎悪というものは、一種独特なものだ。---文化の最も低い段階の所に、いつももっとも強烈な憎悪があるのを君は見出すだろう。ところが、国民的憎悪が全く姿を消して、いわば国民というものを超越し、近隣の国民の幸福と悲しみを自分のことのように感ずる段階があるのだよ。こういう文化段階が私には合っている。そして私は、六十歳に達する前から、すでに長いあいだ、そういう段階に自分をしっかりとおいているのだよ。」
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 P277
 「結局のところ、」とゲーテは答えた、「この地上の輝かしい富は、独力で得たものだろうと、遺産としてもらったものだろうと、どちらでも同じことだよ。最初に財を成した者は、いずれにせよ、他人の無知と弱みにつけこむ天才的な連中なのだ。---世の中は、低脳や狂人でいっぱいさ。狂人に会うためには、癲狂院へ行くまでもない。そこで思い出したのだが、亡き太公は、私が癲狂院を嫌いなのを知っていて、あるとき私を計略にかけて突然そういうところへ連れ込もうとされたことがあった。だが、私はいち早くそれを嗅ぎつけて、彼にこういった、「私は、拘禁されている狂人を見たくもありません。自由にうろついている狂人だけでまったくたくさんです。殿下、私は、やむをえぬばあいは、地獄へでもお伴するつもりですが、癲狂院だけはご勘弁ください。」と。
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☆P279-282
 〜ダービーの僧正ブリストル卿との事件を話した。
 「ブリストル卿は、」とゲーテはいった、「イェーナを通りかかったとき、私と面識を得ようとして、ある夜彼を訪ねるように誘ってこられた。彼は、ときどき好んで、ぞんざいな振舞いをする人だった。ところが、こちらからも彼に対してぞんざいに出ると、すっかり素直になるのだね。話が進むうちに、彼は、私の『ヴェルテル』について説教をしようとした。それによって人びとを自殺に導いたことに、良心の呵責をおぼえないかというのさ。『ヴェルテル』は、まったく不道徳な呪うべき本である、と彼はいった。---『おやめなさい。』と、私は叫んだ。『もし、あのあわれな『ヴェルテル』についてそんなことをいわれるのなら、この世で偉大だとされている人物たちのことを何といわれるおつもりです。彼らは、たった一回の戦争で十万人を戦場へ送り、そのうちの八万人を殺し合いで死なせ、殺人や放火や略奪へと双方を駈りたてております。あなたがたは、こういう暴虐の後で神に感謝を捧げ、讃美歌を歌っていますね。さらに、あなたがたは、地獄の罰の恐ろしさを説教して、ご自身の教区のか弱い人びとを不安におとし入れておられるが、彼らはそのために正気を失い、ついには癲狂院でみじめな生を終えているのですよ。---あるいは、あなたがたは、あれこれと理性に対して無力な正統派の教義をふりまわして、キリスト教徒の聴衆の心に危険な懐疑の種をまいておいでだが、そのために強弱両面をそなえた人びとは、迷宮を迷い、逃れようもなくて死んでしまうのですよ。---これを、あなたがたは、ご自身に対して、何と説き聞かせ、どんな罰を受けておられるのでしょうか。---ところが、あなたがたは、一作家の責任を問われる。そして、一個の作品をとがめておいでだ。あの作品は、かたくなな心の持主によって誤解されたために、たかだか一ダースほどの馬鹿者や厄介者をこの世から追い出しただけのものですよ。この連中は、わずかな生命の光の弱い燃え残りを完全に吹き消してしまうほかに何一つましなこともできなかったのです。私は、人類のためにほんとうの貢献をしたのだから、人類から感謝されてもいい、と考えていました。ところが、あなたがお見えになって、私の立派な小さな功績に罪を着せようとなさる。そのくせ、あなたがた、坊さんやご領主たちは、ああいう大がかりな激しいことを平気でやっておいでです。』
 
 「この一撃は、わが僧正に見事な効果を与えたものだ。彼は、小羊のようにおとなしくなり、それ以後、二人で歓談しているあいだ中、きわめて丁重な態度で、心こまかに調子を合わせて、私に対していた。それで、私は、彼と一緒にとても楽しい一夜をすごした。というのも、ブリストル卿は、たとえそういう無作法なところがあったにしても、心の豊かな、世事にも通じた人で、さまざまな種類の問題を話し合うことができたからだ。私が別れを告げると、彼は付き添ってきて、さらに敬意を表して僧院長にその先を見送らせた。私たちが街路に出たとき、彼は私に向かって叫んだ。『おお、ゲーテさん。あなたは、じつに結構なお話をなさいました。どれほど卿のお気に召したことでしょう。あなたは、卿の心をつかむ秘訣を心得ておられたのです。わずかでも気兼ねやためらいを持っておられたら、あなたは決して今のように訪問に満足してお帰りにはなれませんでしたでしょう。』とね。
 
 「あなたは、『ヴェルテル』のために、いろいろと我慢をなさいましたね。』と私はいった。「ブリストル卿との一件から、わたしは、この作品についてのあなたとナポレオンとの会談を思い出します。あのときは、タレランも同席していなかったでしょうか。」
 
 「彼も同席していたよ。」とゲーテは答えた、「けれども、私はナポレオンについては何も苦情はなかった。彼は、私に対してはきわめて親切だった。そして、あの話題をいかにも大人物らしく取扱ったね。」
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 P282
 子供たちは、犬のように鋭敏な嗅覚を持っていて、どんなことでも見つけ出し、嗅ぎつける。とりわけ、よくないことをね。
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  P287-288  【抜粋】
  たとえて言えば、樹液のありあまっている木が無数の若木を寄生させているようなもので、彼らは思想と感受性に溢れていながら、それを制御できず、自己を控え目に表現したり、適切なところで止めたりする術を知らないということだろう。〜〜〜一つの韻を大事にするあまり、別の詩句を一つ書きたしている。それで、その詩はすっかり失敗に帰している。〜〜〜老練な実務家にならないと、」と彼は笑いながら付け加えた、「削除というのは、なかなか上手にできない。シラーは、この点とくにうまかった。私はかつて、彼が『年刊詩集』の編集に当たっているとき、二十二節の立派な詩を七節に縮めてしまうのを見た。しかもこの作品は、この恐るべき操作によってすこしも損なわれなかったね。それどころか、この七節はあの二十二節に見られた立派な効果的な思想をなおよく保っていたよ。」
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☆P294
 私は、作家という天職に就いているが、大衆が何を求めているかとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。それどころか、私がひたすら目指してきたのは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格内容を高める、さらに自分が善だ、真実だと認めたものを表現することであった。
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 P295
 私のいわんとする肝腎なことを、端折っていえば、こうだよ。父親は家のために、職人はお得意先のために、牧師は人間同士の愛のために、力を尽くせ!そして、警察は、われわれの喜びをさまたげるな!ということさ」
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 P314
 古代のヘラクレスにしても、一つの集合体であって、彼自身とほかの人たちの行為の偉大な代表者にすぎないのだということを忘れているね。
 
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 P315  *
 私は正直のところ、観たり、聴いたり、区別したり、選択したり、またその観たもの、聴いたものに多少の魂をふきこみ、少しは巧妙に再現する能力と性向をもちあわせたほかに、これこそ私のものだといえるものがあったろうかな。私は自分の作品を決して自分の知恵ばかりに負うているとは思っていない。そのために材料を提供してくれた、私を取りまく無数の事物や人物にも負うていると思っているよ。愚かな人も、頭のよい人も、物わかりのよい人も、偏狭な人も、それから子どもや青年や老人もいた。すべての人が私に、どんなことを考えていたか、どんなふうに生き、働き、そしてどんな体験をへてきたか、を話してくれた。そして私がなしたことといえば、それを捉え、他人が私のために播いてくれた種を刈りとるというだけのことだったのさ。
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☆P315 **
 大事なことは、すぐれた意思をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもっているかどうかだよ。
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 P316-317
 くもりのない神の啓示の光は、あまりにも純粋で目もくらむほどなので、あわれな、まったく弱い人間には適していないし、また耐えられないだろう。しかし、教会がありがたい仲介者としてあらわれ、その光をやわらげ、軽減して、すべての人を助け幸せにすることだろう。キリスト教会は、キリストの後継者として、彼らを人間の罪の重荷から解放してやることができるという信仰と結びつくことによって、きわめて大きな勢力となっている。そしてその勢力と信望をもとに身を保持し、またかくして教会の建物を確保することが、キリスト教僧侶の主要な目的となってくるのさ。
 「それゆえに僧侶たちは、精神のすぐれた啓蒙を生みだすのは、また高度な道徳と高貴な人間性の教えが含まれているのは、どの聖書であるかというようなことはほとんど問題にしないのだ。むしろ彼らは、モーゼの書のなかの堕罪の物語や救世主待望の発生の話を重視し、さらに予言者たちの声をかりて、彼、すなわち待たれる人をくり返しさし示し、さらにまた福音書のなかでその待たれる人が実際にこの世にあらわれ、われわれ人間の贖罪として十字架にはりつけられて死んだということに目を向けさせねばならないのだね。かくしてそのような目的と方向にとっては、またそのような秤にかけては、高貴なトビアもソロモンの知恵も、シラクの箴言にしても、たいした重要さをもちえないわけだろう。
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 P319
 「教会の制度にはまったく愚かしいことがたくさんある。だが教会は支配することをのぞんでいるのだから、平身低頭し、支配されてよろこんでいる愚昧な大衆が必要なのさ。身分も高く、高給をはむ僧侶は、下層階級が目覚めることを何よりもおそれている。彼らには聖書すらも長い間、できるだけ長い間、遠ざけておいた。貧しいキリスト教区民は、高い給料をとっている僧正の、まるで王侯のような豪勢さをどのように考えているのだろうか。王侯のような僧正が六等立てのきらびやかな馬車をのりまわしているというのに、その反対に福音書のなかでは、貧しく、みすぼらしいキリストが弟子たちとともにつつましく素足で歩いていたということを知ったとしたら!
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 P321
 神は、今も絶えず、より低いものを引きあげるために、より高い人たちの裡で活動しつづけているのだよ。