ゲーテとの対話 (上)

旧字・旧仮名遣いは改めました。また、漢字変換の煩雑を避けるために、一部、送り仮名や漢字が原書と異なるものもあります。

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☆☆P141〜 
1824年5月2日 日曜日
 ゲーテは、私がこの土地のある名士を訪ねなかったといって、私を叱った。「君は」と彼は言った、「この冬の間に、愉快な夜を幾晩も過ごすことが出来ただろうし、まだ知らない名士たちとも何人か知り合いになれただろうに。どう気が変わったのか知らないが、もう万事休すだよ。」
 
 「私の感じやすい性質のために、」と私は答えた、「また多方面に興味を持ち、未知のことにすぐ夢中になる傾向のために、新しい印象の山に埋もれることほど、私にとって厄介で有害なものはないのです。私は社交術を知りませんし、またそういったことにも慣れてもおりません。私のこれまでの生活状態は実にひどいものでして、あなたのお側にいられるようになって、やっと生活らしい生活がはじまった、と思われるくらいです。今はすべてが私に新鮮に映ります。夜ごとの観劇やあなたとのお話の一つ一つが私の心に新しい時代を開いてくれる思いです。ちがった教養を身につけた人たち、別の習慣を持つ人たちにとっては、とるに足らないようなことでも、私にはきわめて敏感にひびいてくるのです。知識欲が旺盛なものですから、私の魂は、どんなものにも精力的に取組んで、できる限りの多くの栄養を吸いとろうとします。私の心のもと方がこんな状態ですので、この冬あいだは、観劇とあなたとのお付き合いだけで、私にはもう十分満足がいきました。ですから、もし私がさらに新しい知己を得たり、ほかの交際に夢中になっていたら、きっと、私の心の状態は、だいなしになっていたでしょう。」
 
 「君は、妙な男だね。」とゲーテは笑いながらいった、「君の好きなようにやってみたまえ。君の考えにまかせる。」
 
 「その上」と私はつづけた、「私は、社交の中に、たいてい自分の個人的な好意や反感、それに愛し愛されたいというような要求のようなものを持ちこんでしまうのです。自分の性分にあった人を求めていますので、そういう人には、よろこんで献身するでしょうが、その他の人とは何の関係ももちたくないのです。」
 
 「そういう君の癖は、」とゲーテは答えた、「もちろん、社交的なものではない。けれども、もし自分の生まれつきの傾向を克服しようと努めないのなら、教養などというものは、そもそも何のためにあるというのかね。他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。私はそんなことをした覚えはない。私は、人間というものを、自立的な個人としてのみ、いつも見てきた。そういう個人を探求し、その独自性を知ろうと努力してきたが、それ以外の同情を彼から得ようなどとは、まるっきり望んでもみなかった。だから、現在ではどんな人間とも付き合うことができるようになったわけだが、またそれによってのみ、はじめて多種多様な性格を知ることもできたし、人生に必要な能力を身につけることもできたのだ。性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやっていくために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろちがった側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。君も、そういうふうにするべきだね。君には、自分が思いこんでいる以上に、その素質があるのだよ。ところで、そんなことでは駄目だな。とにかく君は、上流社会へとびこんでいかなければいけない。もちろん君は、君の欲するように身を処せばいいんだよ。」
 
 私は、この助言を肝に銘じて、できうる限り、そのとおり行動しようと決心した。
 
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 P145 同日
 
 …沈んでいく太陽を見た。ゲーテは、しばし物思いに耽っていたが、やがて、私にむかって、ある古代人の言葉を口ずさんだ。
   沈みゆけど、日輪はつねにかわらじ。(5世紀のギリシャの詩人ノンノス)
 「75歳にもなると」と彼は、たいへん朗らかに語りつづけた、「ときには、死について考えてみないわけにはいかない。死を考えても、私は泰然自若としていられる。なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠にむかってたえず活動していくものだとかたく確信しているからだ。それは、太陽と似ており、太陽も地上にいるわれわれの目には、沈んでいくように見えても、実は決して沈むことなく、いつも輝きつづけているのだからね。」
 
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 P187 ***バイロンを評して***
 
 手当たり次第に反抗していればどうしても否定的にならざるをえなくなり、否定的であることは無に通ずる。私が悪いものを悪いといったところで、いったい何が得られるだろう?だが良いものを悪いといったら、ことは大きくなる。ほんとうに他人の心を動かそうと思うなら、決して非難したりしてはいけない。間違ったことなど気にかけず、どこまでも良いことだけを行なうようにすればいい。大事なのは、破壊することでなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだからだ。

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 P192

 全体の中へ入っていく厳しさもなければ、全体のためになにか役に立とうという心構えもない。ただどうすれば自分を著名にできるか、どうすれば世間をあっといわせることに大成功するか、ということだけをねらっている。
 
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 P194
 
 人間のもっているさまざまの力を同時に育てることは、望ましいことであり、世にもすばらしいことだ。しかし人間は、生まれつきそうはできていないのであって、実は一人ひとりが自分を特殊な存在につくりあげなければならないのだ。しかし、一方また、みんなが一緒になれば何ができるかという概念をも得るように努力しなければならない。
 
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 P207
 
 たいていの人間にとっては学問というものは飯の種になる限りにおいて意味があるのであって、彼らの生きていくのに都合のよいことでさえあれば、誤謬さえも神聖なものになってしまう
 
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 P213
 
 「シェークスピアは、」とゲーテはつづけた、「銀の皿に金の林檎をのせて、われわれにさし出してくれる。ところがわれわれは、彼の作品を研究することによって、なんとか銀の皿は手に入れられる。けれども、そこへのせるのにじゃがいもしか持っていない。これではどうにも恰好がつかないな。」
 
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 P215
 
 ***プラーテンを評して***
 しかし、彼に欠けているのはーーー愛だ。彼は、読者や同時代の詩人を、自分自身と同様、ほとんど愛していない。このばあい彼にもまた、あの使徒の言葉が当てはまるわけだ。『たとい我もろものの国人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や鐃鉢のごとし。』
 
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 P219 
 
 後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。が、逆に、前進しつつある時代はつねに客観的な方向を目指している。

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  P249
 
  つまり、偉大なものがかれらには不愉快なんで、そもそも偉大なものを尊ぶという血がないし、それに耐えることができないのさ。
 
  P251
 
  どんな才能だって、学識によって養われねばならないし、学識によってはじめて自分の力量を自在に発揮できるようになるのだというのに。まあ、しかい、馬鹿には馬鹿のするにまかせておこう。馬鹿につける薬はないさ。それに、本当の才能のある人はちゃんと自分の道をみつけるものなのだ。
 
  P253
 
  芸術には、すべてを通じて血統というものがある。巨匠をみれば、つねに、その巨匠が先人の長所を利用していて、そのことが彼を偉大にしているのだ、ということがわかる。ラファエロのような人たちが土台からすぐ生いそだつのじゃない。ちゃんと、古代および、かれら以前につくられた最上のものの上に立脚しているのだ。その時代の長所を利用しなかったら、かれらが大したものになるわけがない。
 
  P271
 
  「この小説の筋を比喩的にいうと」とゲーテはつづけた、「君は根から萌えでる緑色の植物を思いうかべればよいだろう。それは、しばらくすると、強くしなやかな茎から、元気な緑色の葉をまわりへおしひろげ、遂には花をつけて終わりになる。花がそこにあるとは予期されなかったことであり、それどころか唐突でさえあったが、やはり花はそこにある必要があったのだよ、というより、緑色の葉は、ただ花のためにだけ存在したのだし、もし花がなければ、わざわざ存在する必要もなかっただろうね」
 
  P272
 
  おのれのモティーフにどんな魅力を与えられるかを知っているのは作者だけだからね。だから何か書こうと思ったら、誰にもきいたりしてはいけないね。
 
  P277
 
  しかしそれを濫りに用いてはいけない。
 
  P283
 
  それぞれの時代を超越し、風俗の頽廃を嘲弄しながら歌にしたのだ。
  〜
  放縦なことでも賎しいことでも、あまり嫌悪することもなく、それどころか、そんなものを扱うことに一種の愛着さえ感じている。
 
  P291
 
  「ベランジェのような才能は」と私はいった、「道徳的な素材をどうこなせばいいか、わからないのでしょう」−−−「君のいうとおりだ」とゲーテは言った、「まさに時代が狂っているからこそ、ベランジェの天性のよりすぐれた面が明らかになるし、さらに発展もするのだよ。」
 
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  P300
 
  私たちは、一層すぐれた学説が発見された後も、依然としてニュートンの学説を講義している教授連の話をした。「これは何もおどろくにはあたらない」とゲーテはいった、「こういった連中は、彼のおかげで生計をたてているのだから、過ちをあらためないのだ。彼らは勉強しなおさなければなるまいが、それはどうも愉快な話ではないだろうね」「しかし」と私はいった、「彼らの学説の基礎が誤りであるのに、どうしてその実験が真理を証明できるでしょうか?」――― 「彼らも真理など証明しないのだ」とゲーテはいった、「またそういうことは彼らの意図に全くないことだ。彼らにとって大切なのは、自分たちの意見を証明することだけさ。だから彼らは、真理を明るみに出したり、彼らの学説が根拠のないものであることを証明したりするような実験は、みんな伏せておくわけだよ。
  「それから次は学生のことだが、一体彼らのうちの誰が真理の探究を問題にしているだろう?彼らだってどこといって変わりばえもせず、物事について見たまま聞いたまましゃべることができれば、文句なしにご満足なのだ。そもそも人間というのは、奇妙な性質を有していて、湖に氷がはると、すぐにも何百人もが押しかけて来て、滑らかな氷の表面で打ち興ずるが、湖の深さはどれだけか、とか、氷の下をどんな種類の魚が泳ぎ廻っているか、を調べようと思いつく人間は一人もいない。
 
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  P304
  「もし人間が」とゲーテはつづけた、「正しいものが発見されたあとで、それをふたたびくつがえしたり、闇へ葬ったりさえしなければ、それで私は満足なのだ。というのも、人類には、世代からまた世代へと継承されるような意欲的なものが必要だからだ。
  
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  P305
  「われわれはただ」とゲーテはいった、「黙々と正しい道を歩みつづけ、他人は他人で勝手に歩かせておこう。それが一番いいことさ。」