エミール 河出書房新社 平岡 昇 訳

  はじめに

  『エミール』の読書記録として、私の感想や解説ではなく、心に残った箇所の抜粋を作りました。
「もう再読する時間が残されていないから」、というのが切実な理由です。2011年7月20日から2013年1月12日にかけての、長期にわたって系統立てずに作った抜粋ですから、もとより完全なものではありませんが、すべてを読み直す手間を省き、記憶に残る断片を検索して文章として読み直す手助けになればと思っています。

 *   これはあくまでも抜粋であって、名言集や格言集ではありません。ここで集めた抜粋が真理を提示しているとか、ルソーの主張のエッセンスであるわけでもありません。私の、「考えるためのヒント」、「(あるときは励まし、またある時は心を支えてくれる)言葉の糧」として残したものですのでご注意ください。不明な場合は原本を参照されてください。

 ** 漢字変換の結果を原本に合わせる煩雑を避けるために、原文とは違った漢字仮名遣いになっています。もし引用されるばあいには、その点ご注意下さい。


  池田先生は、たびたびルソーの著作に言及されていますが、エミールについて最近では、以下のようなものがありました。4件ほど引用しておきます。

 ☆ 2008年6月7日のスピーチより

  それは、昭和25年(1950年)の秋10月−−−。戸田先生の事業が最大の苦境にあった時である。その日の夜も、私は戸田先生にお供して、都内を奔走し、目黒駅まで先生をお送りした。

  目黒へ向かう電車の中で、先生は「大作、今は何を読んでいるか」と尋ねられた。

  あまりに忙しくて本をよく読めていない時でも、先生に対して、いい加減なことは言えない。「では内容は?」と聞かれて、すぐ答えに窮してしまうからだ。

  しかも先生は、私がまだしっかり読んでいない本に限って、「内容を言え」と聞いてこられる。
  
  先生に「読んでいません」とは言えないし、いい加減に「読みました」とも返事できない。

  だから、何を聞かれてもいいように、本当に必死に本を読んだ。

  私は、その場でルソーの『エミール』を読んでいますととお答えした。

  先生は私の口調で、本当かどうかわかってしまう。

  「そうか、『エミール』か!」と先生。
  「じゃあ、内容を言いなさい」

  まるで非常な捜査官のようである。

  『エミール』は、私が10代の終わりから繰り返し読んできた本である。私は、自分が知ったところを全部話した。

  先生は「そうだな」とうなずかれ、「ルソーはいいな」とおっしゃられた。

  そして『エミール』の内容について、ずっと電車の中で語り合ったのである。  

 ☆☆ 2009年2月18日 『我らは戦う! 人権と 平和と 幸福のために』より

  わが師、戸田城聖先生と幾たびとなく語り合った大事な一書がフランスの大思想家ルソーの『エミール』である。その鮮烈な一節に

  「圧政と戦争こそ人類のもっとも大きな災厄ではないか」(P 546)とあった。  

 ☆☆☆ 2012年1月11日 『若き君へ 第一回(下)』より

  「わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。」(P218)

 ☆☆☆☆ 2012年5月29日 『SUA 8期生卒業式 へのメッセージ』より

  私が青春時代に愛読し、恩師、戸田先生と共に語り合ったルソーの『エミール』の一説を贈り、祝福のメッセージといたします。

  「勇気なくして幸福はありえず、戦いなくして徳はありえない。」(P518) 


================================================================================
☆ P8
 万物を創る神の手から出るときにはすべては善いが、人間の手にわたるとすべてが堕落する。
人間はある土地に他の土地の産物を育てさせたり、ある木には他の木の果実をみのらせたりして無理をする。気候や環境や季節を一緒にし混同する。自分の犬や馬や奴隷を不具にする。人間はすべてをひっくりかえし、すべてをゆがめ、奇形を、怪物を好んでいる。自然が作ったままでは何ひとつ気に入らない。人間でさえもそうだ。乗馬のように、人間のために人間を仕込まねばならないのだ。庭の木のように、自分の好みにあうように人間をねじ曲げなければならない。

 さまざまな偏見や権威や必要や先例や、われわれがその中に埋没しているいっさいの社会制度は、人間の内なる自然を圧しつぶし、その代わりに何物をももたらさないだろう。自然はそこでは道の真ん中に偶然に生えた灌木のようなもので、通行人にあちらこちらから踏みつけられ、四方八方に折り曲げられてやがて枯れてしまうのである。
 優しくて、よく先を見通す力をそなえた母よ、広い道から身を避けて、生まれたばかりの灌木を人間のさまざまな意見の衝撃から守ってやることのできた母よ、わたしはあなたに向かって言っているのだ。若木が枯れてしまう前に、手を入れて水を注ぎなさい。その果実はいつかあなたの無上の喜びとなるだろう。いち早くあなたの幼児の魂の周りに囲いを作りなさい。他の人でもその囲いの印をつけることはできるが、しかし柵をそこに取り付けるのはあなただけがしなければならないことなのだ。
================================================================================
☆ P10
 スパルタの人パイダレートスは、三百人会議にいれてもらおうと出頭した。しかし彼は選に漏れてしまった。だが彼はスパルタに彼よりも優れた人が三百人もいることに気が付いて、喜びにあふれて帰ったのである。
================================================================================
☆ P12
 自然と人間とによってそれぞれ反対の道に引き込まれ、これらの異なった衝動のために分裂を余儀なくされて、われわれは、そのどちらの目的にも達しない妥協的な道をたどる。このように一生の間たたかれ続け、ふらふら迷い続けて、われわれは一貫した意見を持つことができないうちに、また自分にも他人にも役に立つことができないうちに生を終えるのである。
================================================================================
☆ P13
 真の教育とは教訓ではなくて訓練だ
================================================================================
☆ P17
 自然の感情を失った乳呑児を愛情深い息子に育て上げるどころか、この母親は恩知らずを子供に教え込んでいるのだ。こんな女性は、子供に対して、かつてその乳で養ってくれた者ばかりでなく、彼を生んでくれた女性をも、いずれは軽蔑するように教えているわけである。
================================================================================
☆ P18
 母親がてずから自分の子供を育ててやるならば、風俗はおのずから改まり、自然の感情が誰の心にも目覚めてくる。国の人口もまた増えてくる。

 これは無駄な説教だ!たとえ世の中の快楽に飽き果てたとしても、人は決して家庭の楽しみに戻ってくることはない。

 高潔な勇気をもって

  ================================================================================
☆ P19
 あなた方は自分では自然を矯正しようと考えながら、かえって自然の仕事を破壊し、自然の配慮の効果を邪魔しているのがわからないのだろうか。
================================================================================
☆ P21
 人々は、早くから子供の幼い心に様々な情念を植え付けては、それを自然のせいにし、自分たちでわざわざ子供を悪くしておきながら、その悪いのを見ては嘆くのである。
================================================================================
☆ P23
 よい教師を探し出す方が、自分でそれになるよりか骨が折れる
================================================================================
☆ P24
 子供は時には老人に媚びることもあるが、老人を愛することは決してない。
================================================================================
☆ P25
 国土は人間の形成とは無関係ではない。
================================================================================
☆ P26
 貧乏人には教育の必要がない。彼の境遇から受ける教育は強制されたもので、ほかの教育を受けることができない。反対に、金持ちがその境遇から受ける教育は、彼にとっても社会にとっても、もっとも不適当なものだ。しかるに、自然の教育は、人間をあらゆる条件に適するものにしなければならない。ところで貧乏人を金持になるように教育するのは、金持ちを貧乏人になるように教育するよりも理屈に合わない話である。というのは、この二つの境遇の人数の割合からいって、成り上がる者よりは落ちぶれる者の方が多いからである。だから、われわれは金持ちを一人選ぼう。そうすれば、われわれは、少なくとも一人の人間を増やしたことになるのは確かだ。貧乏人は自分の力で人間になることができるのだから。
================================================================================
☆ P29
 自然のままでは人間は毅然として耐え忍ぶことを知り、心静かに死んでいく。人間の心を堕落させ、死に方を忘れさせるのは、処方を下す医師と、訓戒を垂れる哲学者と、説教をする神父たちなのである。
================================================================================
☆ P30
 金持ちの人たちの不幸の一つは、万事につけて人からだまされることである。だから、彼らが人についての判断を誤るにしても、別に驚くにはあたるまい。富が彼らを腐敗させているのだ。そして当然の報いとして、彼らは自分たちが知っているただ一つの道具の欠点に真っ先に気がつく。彼らの場合自分自身ですること以外は、何一つうまくいかない。しかも彼らは自分ではほとんど何もしない。
================================================================================
☆ P31
 悪人というものは善いことには、何の役にも立たないのである。
================================================================================
☆ P35
 教育は生まれると同時に始まるのだから、子供は生まれるとすぐに弟子なのだ。ただし教師の弟子ではなく自然の弟子である。
================================================================================
☆ P47
 子供たちの前では、いつも正確に話すのがよい。誰と一緒にいるよりも、あなたと一緒にいるのが子供には楽しいようにしてやりなさい。そうすれば、あなたがたしなめなくても、彼らの言葉はあなたに倣って、知らず知らずのうちに洗練されてゆくことは確信してよろしい。
================================================================================
☆ P43
 せっかちなやり方は、求めているのとまさに正反対な結果を引き起こすことになる。

 子供たちが言ったことというよりは、むしろ言おうとしていることを推察してしまうのである。
================================================================================
☆ P49
 抑揚には言葉ほどの偽りはない
================================================================================
☆ P54
 子供にあらゆる種類の束縛を加え、子供が今後けっして味わうことのないと思われるわけのわからぬ幸福なるものを、事前にはやばやと準備しようとして、まず彼を不幸なものにする教育をどう考えたらよいのか。

 人間よ、人間であれ。それがあなた方の第一の義務なのだ。あらゆる身分の人、あらゆる年齢の人、およそ人間に無縁でないすべてものに対して、人間的にふるまうがよい。人間愛を離れてあなた方にとって、どんな知恵があるだろうか。
================================================================================
☆ P55
 あのいつわりの知恵が騒ぎ立てるのが遠くから聞こえてくる。われわれをたえずわれわれの外へ駆り立て、いつも現在を無意味なものと評価し、進むにつれて逃れ去る未来を休みなく追い求め、われわれを現在いないところへ移そうとするあまり、将来われわれの達しそうにないところへ移してしまうあの偽りの知恵が、騒ぎ立てているのが遠くから聞こえてくる。

 あなた方はこう答えるだろう。今こそ人間の悪い性向を矯正する時だ。苦痛を一番感じることの少ない幼年時代にこそ、苦痛の数を多くして、理性の時期に苦痛をまぬがれさせるようにすべきだと。しかし、そういう処置がすべてあなた方の意のままに行われ得ると誰があなた方に言ってるのか。

 あなた方が子供にやたらと与える悲しみによって、何らかの苦しみをまぬがれさせてやっているのだと、誰があなた方に請け合うか。

 一人の人間を将来幸福にしてやるという根拠のあやふやな希望に基づいて、現在の彼を惨めにしているとは!もしもこういう俗悪な理屈を立てる連中が、放縦を自由と混同し、子供を幸福にすることを子供を甘やかすことと混同しているなら、彼らにそれを区別するすべを教えてやることにしよう。
================================================================================
☆ P56
 われわれは絶対的な幸福とか不幸とかが、どんなものかは知らない。この人生では何もかも入り混じっている。純粋な感情など一つも味わことはないし、同じ状態にも一瞬しか留まることがない。われわれの心の動きは肉体の変化と同じように、たえず流動している。幸福も不幸も万人に共通であるが、ただその程度が違っている。最も幸福な人とはもっとも苦しみを悩むことの少ない人のことであり、最も悲惨な人とは、最も喜びを感ずることの少ない人のことである。
================================================================================
☆ P58
 われわれは幸福を大きくしようとして、あまり努力する結果、幸福を不幸に変えてしまうのである。

 忍耐強くあれ。
================================================================================
☆ P59
 自分がかつて見たこともない国を失って、悲嘆にくれている君主がなんと多いことか。インドで手をつければパリで叫び声をあげる商人が、なんと大勢いることか。
================================================================================
☆ P60
 彼らを君の好きなように引っ張ってゆくためには、君も彼らの気に入るようにふるまわなければならない。
================================================================================
☆ P61
 あらゆる幸福のうちで第一の幸福とは、権力ではなくして自由だということになる。
================================================================================
☆ P62
 主人と奴隷とがお互いに相手を堕落させるのはこの依存関係のためである。
================================================================================
☆ P69
 賢人は法律を必要としない。
================================================================================
☆ P70
 子供たちの頭の中に早熟な教訓を詰め込もうとするたびごとに、人々は彼らの心の底に悪徳を一つ植えつけているのである。無分別な教師たちは子供に善とは何かを教えようとして、かえって子供を悪者にしながら、自分では素晴らしいことをしているつもりなのである。
================================================================================
☆ P71
 どんな種類の罰にせよ、子供を罰で苦しめてはいけない。
================================================================================
☆ P74
 何物も失うまいとして多くのものを失う守銭奴のようなことをしてはいけない。
================================================================================
☆ P76
 自分の頭に浮かぶことだけに心を奪われ、あなた方は子供たちの頭の中に引き起こす結果を見ていないのだ。たえず子供たちを悩ましているあなた方のあの長いおしゃべりの中に、子供たちが意味を取り違えている言葉は一つもないとでも思っているのだろうか。
================================================================================
☆ P77
 何度繰り返しても十分ではないが、子供の先生であるためには自分自身の先生になれなければならないのだ。
================================================================================
☆ P83
 罰や叱責をまぬがれようとする目前の利益が、真実を述べるという遠い先の利益よりも強く心を支配する
================================================================================
☆ P84
 人々が子供たちにきちんとした生活をさせ、監督し、教え込もうといくら熱心になっても、それに成功する十分な手段は決して見当たらない。

 むしろ子供たちが無知でいて、素直であるよりは、教訓を心得ていて嘘をつくほうが好ましいと思っているのである。

 子供に約束を忠実に守らせようと思うなら、約束の要求は慎重にすべきである。
================================================================================
☆ P85
 ロックは言っている。最も物惜しみしない者が最もよい分け前をもらえるのだというを、経験によって子供に納得させるように仕向けよ、と。これこそ子供は表面は気前よくして、実際はけちにすることなのだ。ロックはさらにつけ加えて、子供たちはこうして物惜しみをしない習慣を身につけると言っている。確かにそうだが、それは高利貸し的な気前のよさで、卵を一個与えて牛を一頭手に入れるようなものだ。
================================================================================  ☆ P86〜87
 いっそう善い人間になったりいっそう賢い人間になったりすることよりは、他人に威圧を感じさせたり、自分の才能をほ誉め讃えてもらったりすることをいっそう希望しているのである。

 その格率について議論するよりも、それを実行しようと試みるのでなければ、それに成功するのがいかに偉大であり、困難であるかを悟ることはできない。
================================================================================
☆ P94   ★★★
 私は興奮してそれに返答しようとした。するとその時、私の傍らにいてそれまで口を開かなかった一人の婦人が、私の耳元に顔を寄せて、低い声でこう言ったのだ。「言ってもだめですよ、ジャン・ジャック。あの人たちにはあなたの言うことはわからないでしょうから。」私は彼女を眺め、ハッとして口をつぐんだ。
================================================================================
☆ P96
 寓話は大人にとっては教訓となりうる。しかし、子供には生の真理を言わなければならない。真理にベールをかけると、子供は、もう、わざわざそのベールを取り除けようとはしないものだ。
================================================================================
☆ P103
  彼がまだ愛することのできない学問が彼にとって嫌なものにならないように、そして彼が何も知らない時期が過ぎたなら、一度はっきり現れたそんな嫌悪が学問から彼を遠ざけることのないように、特に気をつけなけらばなるまい。

 幼年時代に考える習慣をつけていないと、その後一生の間、考える能力がなくなってしまうことになる。
================================================================================
☆ P104
 あなたの頭がいつも彼の腕を動かすことになれば、彼の頭は無用なものとなる。しかし我々の約束を思い出していただきたい。つまり、もしあなたが衒学者にすぎないなら」、なにも私の本を読むには及ばないのだ。
================================================================================
☆ P107
 見かけはどこまでも自由に見える隷属状態ほど、完全な隷属状態はない。こうすれば意志までも虜にすることができる。なんにも知らず、なんにも出来ず、なんにも見分けられない哀れな子供は、あなたの思うままになるのではないか。
================================================================================
☆ P110
 わたしは、こんなふうに、その哀れな母親が、周りのすべての人々から騙されているのを見て嘆息するばかりであった。もっとも、わたしだけは騙さなかったのだが、そのわたしが彼女から憎まれることになった。それはまさに、わたしが彼女を騙さなかったためなのである。
================================================================================
☆ P116
 まだ、その時期も来ていないのに、子供を大人にしようとしているのだ。

 これではまるで、人間は衣服によってはじめて値打ちが出てくるもので、あなたの値打ちはすべてあなたの衣服にあることを心得ておくんですよ、と言わんばかりではないか。こんなに賢明な教えのおかげで、若い人たちが利口になり、彼らが装身具だけを尊重して、外観だけによって人の価値を判断しても、驚くにはあたらないではないか。

***2010年7月、自宅教室をリフォームして塾を再開した。庄内ジャガーズが好成績を収めた頃にジャガーズに所属していた子供たちが複数来塾したが、学年は異なるが鴨生クラブの子も来た。ジャガーズ出身の子たちは、鴨生クラブがユニフォームもないことをひどくバカにしていたが、夏休みに気ままに通ってきただけだったし、1pでも1oでもサボろうとしていた。鴨生クラブの子は、最後まで来て、目覚ましく成績を上げた。
================================================================================
☆ P120
 子供に向かってお説教をするのも、ゆりかごで揺すってやるのと同じくらい効き目はある。しかし、夜この催眠剤を使うのはよいとしても、昼間使うのはよしたほうがよい。
================================================================================
☆ P121
 苦しみそのものにも、その苦みを取り除く調味料が備わっている証拠だ。しかし、そういうご馳走を作る芸当が、すべての先生にできるわけではないし、また、おそらく顔をしかめずに、それを味わうことがすべての生徒にできるわけでもなかろう。

 うっかりしていると、またもや例外の中に迷い込んでしまうことになる。

 ただその名前を子供に覚えさせて教えられるものではない。子供たちがその何物かを知らなくてもそれを味あわせることによって教え込むのである。
================================================================================
☆ P130
 冬のさ中、真夜中に、自分たちの町で敵のために起こされたジュネーヴの人たちは、靴よりも先に銃を見つけたのだった。もし彼らのうちの誰一人として裸足では歩けなかったとしたら、ジュネーヴが占領されずに済んだかどうかは知れたものではない。
================================================================================
☆ P133
 子供の教育というものは、時をかせぐためには、時を無駄にすることを心得ていなければならない仕事である。
================================================================================
☆ P138
 われわれは、どれほど多くの人々がそんな風に自分を金ピカの額縁に入れて、自分を偉いと思っているかを知ってあきれるだろう。
================================================================================
☆ P141
 経験こそは本当の勉強なのであって、どんなにそれに早くから取り掛かっても早すぎることはないのである。
================================================================================
☆ P142
 ところが、是非とも子供たちにあれこれと教えなければならないとなると、どんなふうにしようとも、強制や嫌な思いや退屈を伴わずにうまくやり通せるということは不可能なのである。
================================================================================
☆ P144
 音楽をよく知るには、それを表現するだけでは足りない。作曲をしなければならない。そして音楽を表現することは作曲することと一緒に学ばれなければならない。そうしなければ音楽はよくわかるものではない。
================================================================================
☆ P147
 ポリビオス(ギリシャの歴史家)が戦闘を叙述しているとき以上に正確に、食事のことを述べているような人たちのことである。わたしはそういういわゆる大人どもが、すべて気力もなく定見もない四十歳の子供にすぎず、「食うために生まれてきた(ホタティウスからの引用)」人間にすぎないことを発見した。
================================================================================
☆ P159
 自分の幸福を犠牲にして完成を買い取ったのではない。反対に幸福と完成とは互いに協力し合ったのだ。

 初期の教育の大きな不都合は、それが、よく目の利く人たちにしかわからないことであり、また、これほどの注意を払って育てた子供が、俗悪な目には腕白小僧としか映らないことである。
================================================================================
p161
 欲望を減らすがよい。そうすれば力を増やしたのも同じ事になる。
================================================================================
p163
  現在の彼に有り余っているものを未来に振り向けるのだ。たくましい子どもが弱い大人のために貯えるのだ。

  自分が手に入れたものを本当に自分のものとするために、彼は、腕の中、頭の中、つまり自分自身の中にそれをしまっておくだろう。だからいまこそ勤労、教訓、研究の時節だというわけだが、これは私が勝手に選んだものではなく、自然そのものがそれを示しているのだということに注意していただきたい。

  なんでもあるものを知るというのではなく、有益なものだけを知ることが必要なのだ。
================================================================================
p164
   まことしやかな嘘の誘(いざな)いを、高慢心の人を酔わせる毒気を恐れるがよい。無知は決して悪を生み出したことがなく、誤謬だけが忌まわしいものだということ、人が道を誤るのはなにか知らないからではなく、知っているつもりになるからだということ、これを忘れてはならない。たえず心にとめておかなくてはならない。
================================================================================
p169
   理性と判断力はゆっくりやってくるが、偏見は大挙して押し寄せる。
================================================================================
p170
   彼が話す言葉よりもむしろ彼に話をさせる動機に気をつけなければならない。
================================================================================
p171
   原因のわからない結果に絶えず驚きながらも、われわれはなにごとにもいそいで判断を下そうとはせず、無知から抜け出る機会が見つかるまでは、安んじて無知の中にとどまっている。
================================================================================
p174
   虚栄心の最初の衝動が、どれほど多くのつらい結果をまねくことか

   全ての物体が寒さにあえば収縮し、熱にあえば膨張する。この効果は液体の場合いっそう測定しやすく、とくにアルコール性の液体に著しい。こうして寒暖計ができるわけでだ。
================================================================================
p175
   学問的な空気は学問を殺す。

   学問研究を簡略にするすばらしい方法がいくつもあるなかでも、努力して学ぶ方法をだれかがわれわれに教えてくれることこそ、わたしたちにとって大いに必要なことではあるまいか。
================================================================================
p176
   子どもは哲学者になりながら、自分では労働者にすぎないと思っている。
================================================================================
p177
   役に立つことに時間を用いるようにしつけてやることが大切だ。
================================================================================
p183
   困るのは、生徒が理解しないことではなくて、理解したつもりになることだららだ。
================================================================================
p189
   世論を評価することを教えないうちに、まず世論を教え込んだのでは、どんなことをしてみても世論は子供の意見となってしまい、もうそれを打ち破ることはできなくなるのはうけあってよい。
================================================================================
p199
   自分を見放した身分をこちらからも捨てることができ、運命の打撃にもめげず、やはり人間としてとどまっていられる者こそしあわせな人ではないか。

   自分のほかには見せるものがなくなってしまった時でも、彼はけっして無価値なものではない。
================================================================================
p201〜202
   文字は殺し、精神は生かすものである。なにか職業を知るためにそれを学ぶことよりも、職業というものを軽蔑する偏見に打ちかつことが問題なのだ。

計略とか策謀ということが問題になってくると、裕福な身分を維持するためにそれを用いるのも、貧困のただ中から以前の状態までまた浮かび上がるのに必要なものを獲得するためにそれを用いるのもなんの変わりがない。あなた方が、成功するもしないも芸術家の評判によって決まるような芸術を修めているとしたら、引き立ててくれる人がなければ手に入れることができないような職務に適した者になっているとしたら、当然ながら世の中に嫌気がさし、そこで成功するのにぜひとも欠くことのできない手段を軽蔑するようになった時には、そういうこといっさいが何の役に立つのだろうか。あなた方は政治学と王侯の利害について研究した。それはたいへんけっこうなことだ。しかし、大臣や宮廷の女性や役所の長官に近づくことができないとしたら、誰もがあなた方を彼らにあつらえむきの詐欺師だと見てくれないとしたら、そういう知識をあなた方はどうするつもりか。あなた方は建築家か画家になる。よろしい。しかし、あなた方の才能を認めさせなければならない。あなた方はいきなりサロンに作品を陳列できるとでも考えているのか、どうして、そんなわけにはいかないのだ。まず、アカデミーに入会していなければならない。そうなっても、彼の壁の片隅にどこか目立たない場所を手に入れる庇護者がいなければならないのだ。定規や絵筆は捨ててもらいたい。辻馬車を雇って、門から門へと駆けまわるがよい。こうしてはじめて名声をかちうることになる。ところで、あなた方もご承知のはずだが、そういう名士の家の門には必ず番兵や門番がいて、その連中ときたら身振りでなければ言葉は通じないし、彼らの耳は手の中についているというわけだ。あなた方は学んだことを教えようとするのか。そして、地理学とか、数学とか、語学とか、音楽とか、デッサンとかの教師になろうとするのか。それにしたところで、生徒を見つけなければならない。したがって、はやしたててくれる人間を見つけなければならない。有能であることよりも山師であることが必要なのであり、自分の本職のほかには職業を知らないとしたら、いつまでたってもあなた方は無知な人間にすぎないことになるのだ、と覚悟したがよい。
 だから、こういう輝かしい生活手段がみなどんなに基礎の不確かなものだか、それを利用するためには、他にどんなに多くの手段があなた方にとって必要となるか、わかっていただきたい。それに、そんないじけた卑しい状態に陥ったとしたら、あなた方はどうなることだろう。失敗はあなた方を教えることはなく、卑しくするばかりだ。いままでよりもいっそう世論にもてあそばれていながら、どうしてあなた方はあなた方の運命を支配している偏見に打ち勝つことができよう。生きるためにはやむを得ない卑劣なことや悪いことを、どうして軽蔑することができよう。あなた方は富に依存しているだけだったが、今では富める人に依存している。あなた方は隷属状態をいっそうはなはだしいものにし、そのうえ貧困という重荷まで背負い込んだだけなのだ。いまやあなた方は、自由を失って貧乏になったのだ。それは人間が落ち込む最悪の状態だ。
================================================================================
p203
   公衆の前に立つ職業ならどれでもみな恥ずかしからぬものではなかろうか。
================================================================================
p213
   彼に真実を教えることよりも、いつも真実を見いだすにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。もっとよく教えるためには、そんなに早く誤りを正してやってはいけない。
================================================================================
p218
   われわれは、いわば二回生まれる。一回目はこの世に存在するために、二回目は生きるために。
 −−− 2012年1月11日 若き君へ第一回(下)に引用
================================================================================
p232
   ほかの子供と違う点は、ただ彼は興味を感じているようにみせかけようとはしないこと、彼らのように嘘をつかないということだけだ。
================================================================================
p237
   一言で言えば、あなた方の生徒に、あらゆる人間を愛すること、人間をけなす者をさえ愛することを教えるがよい。

   彼を前にして、感動を込めて、憐れみさえ込めて、人類について語るがよい。しかし、けっして軽蔑を込めて語ってはならない。

   人間よ、人間を辱めてはならない。
================================================================================
p238〜239
   わたしが約束したのは、彼を幸福にすることであって、幸福そうに見えるようにすることではない。
================================================================================
p240
   自分は重要な存在だという偏見を、知らない人々のあいだで失うまでは、彼はどれだけの侮辱を、どれほどの卑屈な思いを忍ばなければならないことか。

   子供のうちは、みんなが彼の言うことを聞いてくれたし、彼の機嫌を取ってくれた。青年になった彼は、みんなに譲らなければならない。
================================================================================
p244
   彼は、同僚の放縦な生活をまねるより、彼らの嘲笑を浴びる方を選んだ。
================================================================================
p245
   抑えなければならない悪徳を助長しなければ生徒に対して保てないような権威が、いったい何の役に立つのか。
================================================================================
p247
   彼のためにしてやったことを彼に自慢すれば、それは彼には我慢できないものになる。
================================================================================
p251
   善いことが一つの時期を画するというようなことはほとんどない。有名になるのは悪人だけで、善人は忘れられるか、笑い者にされている。こんなふうに、歴史は、哲学と同じように、たえず人類を中傷している。
================================================================================
p254
   歴史が描くのは、その人自身ではなくて、その人の着ているものなのだ。

   「伝記を書く人々は、事件よりも決意に、外部に現れることより内部から出てくることにいっそうの興味を感じているのだから、こういう人々は私の気持ちにはいっそう合っている。だからこそ、あらゆる意味において、プルタルコスこそ私の心に叶う人なのだ」
 −−− エセー 2巻10章
================================================================================
p261
   私は黙って、小言も言わず、咎め立てもせず、それについてはけっして一言も言わないで、すべてのことを耐え忍ぶことにする。
================================================================================
p262
   彼らの魂を高揚するためにはなにものをも惜しんではならない。彼らをあなた方と対等に取り扱って、彼らが実際にそうなるようにしてやるがよい。
================================================================================
p263
   生徒と同じように単純で真正直であることだ。

   人に反抗心を起こさせるような教訓は、なんの役にも立たない。「あれほどよく言っておいたのに」というこの言葉ほど、取り柄のない言葉を私は知らない。
================================================================================
p265
   すべてを語る者はわずかなことしか語っていないのだ。
================================================================================
p267
   社会的な徳の実践は、人の心の奥深く、人類愛をもたらす。

   人は善をすることによってこそ善良になるのである。

   徳の実践がもたらすあの勇敢な確固たる態度

   青年は自分に対して不信の念を持ち、自分の行動においては慎重であり、年長者に対しては敬意を表し、いわれなしに語ることには控えめで慎み深く、どうでもよい事柄については謙遜だが、善いことをするときには大胆で、真実を語るには勇敢である、というふうでなければならない
================================================================================
p268
   彼は人が苦しんでいるのを見れば、自分も苦しむ。
================================================================================
p269〜270
   自分自身の問題以外にはけっして手を出さない人々は、自分に熱中するあまり、事物の健全な判断ができない。彼らはなにごとも自分だけの利益になるように考え、善悪の観念を自分の利害だけに基づいて定めているので、その精神は無数の滑稽な偏見で満たされ、彼らの利益をほんの少しでも害しようものなら何事であれ、彼らは全世界がひっくりかえったように感じるのである。
================================================================================
p279
   まやかしの灰に蔽われた
   火の上をわたしはゆく
     −−−ホラティウス オード集より

   わたしの座右銘
     −−− vitam impendere vero
         真理に身を捧げる
================================================================================
p280
   経験のない若者が、初めて暴力と不正に出会ったとき、どんなに腹立たしい思いをするものか、それを知っている人々は、彼の心を想像してほしい。彼の目からは悔し涙がこぼれ、憤怒に胸もしめつけられるほどだった。彼は天と人々に懇願し、誰彼となく気持ちを訴えたが、誰からも聞いてはもらえなかった。彼を辱めるふとどきな人間の命令に従っている卑しい召使いたちが、抵抗する彼をあざ笑って、おれたちを見習えとそそのかす、同じ罪悪の共犯者たちしかいなかった。

   ひとたび幸運の光が射してくると、さまざまな苦労も保護してくれた人のことも忘れられてしまった。彼はまもなくその恩知らずな仕打ちの罰を受けた。

   夢のような空想のためになにもかもだめになってしまった。

   穏健にもなれず、悪党にもなれないで、彼はあまり多くのものを熱望したために、何事にも成功しなかった。
================================================================================
p281
   不幸な運命のために、若者の心がすでに傷つけられていること、侮辱され、軽蔑されて、若者の勇気は挫かれていること、彼の誇り高い心も、苦い怨みに変わって、人々の不正と冷酷とに、ただ人間の本性の悪と美徳のまぼろしのようなむなしさをしか認めようとしないこと、そういうことを聖職者は見てとった。
================================================================================
p282
   いっさい宗教をわすれることは、おのずと人間の義務を忘れることに通じる

   じっとそれに耳を傾け、若者を気楽に語らせた。悪いことを認めはしなかったが、どんなことにも関心を示した。無遠慮な非難の言葉を浴びせて、若者のおしゃべりをとめたり、その心をしめつけたりするようなことは一度もなかった。
================================================================================
p283〜284
   知力の低下がある程度になると、魂がもぬけの殻のようになる。

   私がとりわけて心を打たれたのは、私の尊敬すべき師の私生活に、偽善のない美徳、弱さのない人間性、いつも正しい単純な言葉、そしていつもその言葉に一致した行動が見られたことだった。
================================================================================
p285
   我々の幻想は、我々の不幸を隠すどころか、それをますます募らせている。なんの価値もないものに価値を認めたり、幻想を持たなければ我々に感じられないような無数のいつわりの欠乏を感じさせたりしている
================================================================================
p287
   私はデカルトが真理の研究のために必要なものとしているあの不確実と疑惑の精神状態にあった。こんな状態は長続きする性質のものではない。それは不安であり、苦痛だからである。人がそんな状態の中にとどまっておれるとすれば、それはただ悪徳への興味か怠惰な精神のために他ほかならない。
================================================================================
p300
   私は神をその所行(みわざ)のなかのいたるところに認める。私自身の内に感じるし、自分の周囲のいたるところに神を感じる。しかし、神を神そのものの内に凝視しようとするやいなや、また、どこに神がいるか、神とはいかなるものであるか、その実体は何であるかをきわめようとするとたちまち、神は私たちの手からするりと抜けて、困惑した私の精神には、もう何も認められなくなるのだ。
================================================================================
P301
   神に対して最も冒涜的なことは、神について考えないことではなくて、神について間違った考えをいだくことだからである。

   いやしむべき魂よ、きみを動物に似たものにするのは、君の忌まわしい哲学なのだ。
================================================================================
P306
   空想的な幸福を追い求めようとして、我々は無数の現実的な不幸を自ら招く
================================================================================
P307
   同じ秩序への愛でも、秩序を生み出す方が善と呼ばれ、それを保存する方は正義と呼ばれる。
================================================================================
P308
   自分は今死のうとしているとおまえは考えている。いやいや、これから生きるのだ。私がおまえに約束したことを全て実行するのはこれからなのだ」

   プルタルコスはかつて言ったではないか、わが神聖な競技の勝利者が栄冠を冠せられるのは、競技場の中ではない、競技が終わってからなのだ、と。
================================================================================
P309
   美徳を実行するために身に招く侮辱や不幸が、美徳の全ての魅力を感じる妨げとなっている

   自分が実際に行ったことを行うべきであったことと比較するように専ら心がけるときになれば、そのときこそ、良心の声がその力と支配を取り戻すだろうし、そのときこそ、自己への満足から生まれる純粋な快楽と堕落したという苦い悔恨とが、各人が自らつくりあげてきた自分の運命を、無量の感慨を味わいながら、それぞれ見定めることであろう。
================================================================================
P310
   どうして来世に地獄を求める必要があろう。地獄はもうこの世から悪人の心の中にあるのだ。
================================================================================
P313
   良心は魂の声であり、情念は肉体の声である。
================================================================================
P314
   我々の心から、こういう美に対する愛情を取り去ってみるがよい。それは人生の魅力を全て取り去ることになるのだ。

   自分自身しか愛せなくなった人間は、もはや恍惚たる境地を味わうことはない。凍り果てたその心は、もはや歓喜に脈打つことも絶えてない。やさしい感動がその目を潤ませることもけっしてない。その人にはもはや心を楽しませるものはなに一つない。この不幸な人はもう感じなくなっているのだ。というより、もはや生きてはいない。死んでいるのだ。
================================================================================
P315
   彼は自分に近寄ってくる人々によって自分の満足を得るのではなく、自分の満足を人々に伝えるのである。
================================================================================
P316
   彼らは、あらゆる国民が明らかに普遍的に一致して認めていることを、敢えて拒みさえするのである。そして、人々の判断のこの目覚ましい符号に反対して、暗黒の中に、なにか曖昧な、自分たちだけが知っている例を求めにゆく。それはまるで自然のあらゆる性向が、一つの民族の堕落によって破壊されてしまったかのようだし、また、怪物が見いだされるやいなや、正常な人類はもはやいなくなったかのようだ。
================================================================================
P318
   我々は学者になれなくても人間に成り得る。
================================================================================
P319
   人がひとたび精神の与える快楽の味を忘れてしまったら、それを取り戻すのはどんなに困難なことか。

   神話のプロテウス(オデュッセイアに出てくる海の神)のように、美徳は初めは無数の恐ろしい姿になって現れるが、最後には、つかんで放さなかった人々にだけ、本当の姿で現れるものだ。
================================================================================
p320
   善人は全体を主眼として自分を秩序立てるが、悪人は自分を主眼として全体を秩序づける

   全てが善であるような組織の中に自分が秩序づけられていると感じるくらい楽しいことはないからである。

   辛抱強くその苦痛を耐え忍ぶ

   誰にも見られず善い行いをしても、私はそれが実は見守られていることを知っている。

   肉体の不如意や生活の惨めさが、死の観念をいっそう耐えやすいものにしてくれる。それは全てを捨て去る時がきたとき、それだけ断ち切るべき絆が少なくなることになるわけだ。
================================================================================
p322
   私はまた神に善を行う力をも求めはしない。神が私に与えたはずのものを、なぜ神に求めることがあろう。神は私に、善を愛するためには良心を、善のなんたるかを知るためには理性を、善を選ぶためには自由を与えたのではなかったか。もしも私が悪を行うなら、弁解の余地はない。自分で望んでいるからこそ、私は悪を行うのだ。
================================================================================
p325
   諸民族が、神を語らせることを思いついて以来、各民族はそれぞれ自分流に神を語らせ、自分の好きなことを語らせるようになった。

   ☆宗教の儀式と宗教とを混同しないようにしよう。

   ☆神が聖職者の衣服の格好や聖職者の発言する言葉の順序や、祭壇の前で彼の行う身振りや、彼の全ての跪坐の仕方に非常に大きな関心を抱いているなどと想像することは、甚だしく気違いじみた虚栄心にとらわれることである。まあ、友よ、できるだけ背伸びしてみるがよい、それでもあなたはやはりかなり地面に近くいるのだ。
================================================================================
p326
   ☆なんだと!真理は一つではないのか−−−と私は考えた。−−−そして、私にとって真実なことも、他の人には虚偽となるのだろうか。正しい道を踏んでいる人の方法と、道を迷っている人の方法が同じだとすれば、一方の人は他方の人よりもどれだけ多くの功績があるのか、あるいは、どれだけ多くの過ちがあるのか。彼らの選択は偶然の結果に過ぎない。それを彼らのせいにするのは、不公平であり、あれこれの国に生まれたといって、報償を与えたり、罰を加えたりするようなものだ。神は我々をそんなふうに裁くなどと敢えて言うのは、神の正義を侮辱することである。
================================================================================
p327
   ☆真理の使徒よ、あなたは私がいつまでも判定を下し得ないようなどんなことを私に告げることがあるのか。−−−神が自ら語ったのだ。神の啓示に聞くがよい。−−−それは別のことだ。神は語った!これこそ確かに大した言葉だ。一体誰に神は語りかけたのか。−−−神は人類に対して語ったのだ。−−−それではなぜ私は神の言葉を一つも聞いたことがないのか。−−−神は神の言葉をあなたに伝えるように他の人々に命じたのだ。−−−なるほど。それは神の語った言葉を私に告げようとする人々のことだ。私はむしろ神自身から聞きたかった。その方が神にとってよけい手数がかからなかったろうし、私は誘惑からまぬかれたことだろう。−−−いや、神は神が使わした人々の使命を明らかにして、あなたを誘惑から保証してくれたのだ。−−−どういうふうにしてそれを?−−−奇蹟によって。−−−では、その奇蹟はどこにあるのか。−−−書物の中に。−−−では、その書物を誰がつくったのか。−−−人々が。−−−では、誰がその奇蹟を見たのか。−−−それを証言する人々だ。−−−なんと?どこまでいっても人間の証拠ではないか。あいも変わらず他の人々が報告したことを私に報告する人々ではないか。神と私の間に何と多くの人々が介在することか!
================================================================================
P330
   神は悟性の使用を私に禁ずるために、悟性を私に与えているのでは決してない。
================================================================================
p332
   あなたの考え方によると、恩寵を求めるためには、すでに恩寵を授かっていなければならない
================================================================================
p333
   誠意を誇りうる神学者がどこにいるのか。

   誰でも味方の陣営内では輝いて見えるものだ。

   もしあなたが書物によって[自分に有利な]知識を得ようとすれば、どんなに厖大な博識を積み上げなくてはならないことか。どんなに多くの言語を学ばなくてはならないことか。どんなに多くの図書館を読み歩かなくてはならないことか。どんなに広大な読書をしなくてはならないことか。
================================================================================
p334
   神がついに人間に話しかけることにしたのに、なぜ神は解説者を必要としなければならないのか。
================================================================================
p338
   我が子よ、各人が自説に夢中になり、自分以外の人類よりも自分に理があるとひたすらに思いこむとき、その傲慢と不寛容がどれほどの愚かしさに人を陥れるかを見るがよい。
================================================================================
p341
   盲目な状態から自分自身の知恵だけでは抜け出せないけれども、ただ一つ私に残っているその脱出の方法は、善い生活ということである。
================================================================================
p342
   自然を説明するという口実のもとに、人の心の中に、嘆かわしい教義の種をまき、外見上は懐疑主義でいながら、その論敵たちの断乎とした調子よりも百倍も断定的で独断的な人々を避けるがよい。自分たちだけが明識があり、真実を捉えており、善意があるという思い上がった口実のもとに、彼らはそのきっぱりとした断定を否応なしに我々に押しつけ、彼らが空想に駆られてでっちあげたわけのわからぬ学説を、万物の真の原理として我々に押しつけようとする。そればかりか、人々の尊敬するものをことごとく覆し、打ち壊し、踏みにじって、彼らは悩める人々からは彼らの不幸の最後の慰めをも奪い、権力者や金持ちからは、彼らの欲念を抑える唯一の手綱をも取り除いてしまう。
================================================================================
p346
   善良な若者よ、思い上がったりしないで、誠実で真心をもつがいい。

   たとえあなたの才能が磨かれて、あなたが人々に向かって話ができるようになったとしても、自分の良心に従ってでなければけっして話さず、彼らの喝采などを気にかけてはならない。

   いつまでも真理への道に、また、素直なあなたの心にそうだと思われる道に、しっかりと踏みとどまって、けっして虚栄心や弱さのために脇道にそれたりしてはいけない。

   哲学者の間にいても怖(お)めず臆せず信仰を告白するがいい。不寛容な人々に向かって怖めず臆せず人類愛を説くがいい。

   あなたの仲間は、或いはいなくなるかも知れない。しかし、あなたはあなた自信の内に、人々の証言など必要でないようにしてくれる証言を持っているのだ。彼らがあなたを好きになろうと、嫌いになろうと、また、あなたの著作を読もうと軽蔑しようと、そんなことはどうでもよい。真実なことを言い、善いことを行うのだ。人間にとって重大なことは、地上における自分の義務を果たすことだ。そして、人は自分のことを忘れている時こそ、自分のために働いているのだ。我が子よ、個人的な利害観念は我々の眼を眩(くら)ますものだ。正義の人の希望だけが、けっして欺かないのだ。
================================================================================
p347
   そこから離れてしまえば、私の眼には、人々の間に不正と偽善と虚言しか見えなくなる。
================================================================================
p349
   彼はまだあなたの弟子ではあるが、もうあなたの生徒ではないのだ。それはあなたの友人であり、一個の人間なのだ。今後は彼をそうしたものとして取り扱わねばならない。
================================================================================
p352
   これまでは、私は彼の無知を頼りにして彼を引き止めていたのだが、今や明知によってこそ、彼を引き止めなければならない。
================================================================================
p354
   人の言葉は言うべき時を計っておかなければ、なんの意味もないのだ。種を蒔く前には、土地を耕さなければならない。美徳の種は、容易なことでは芽をふかないものである。そして、それを根づかせるためには長い手入れが必要なのだ。

   精神も気質も年齢も性も身分も意見もまったく別々な多くの聴衆に、同一の説教でうまくゆくなどと、どうして考えることができよう。

   我々の心の働きというものは、実に定めないものであって、どんな人間でも、同じ話から同じ印象を受けるようなことは、おそらく、生涯に二度と無いのである。

   無駄話に終わってしまう説教の大部分は、弟子の罪によってよりも先生の落ち度によってそうなるのである。衒学者でも教育家でもほとんど同じようなことを口にするものだが、衒学者はそれを折りさえあれば口にするのに対して、教育家はそれを言って効果があると確信がある時でなければ口にしない。

   眠っているうちにさまよい歩き出す夢遊病者が、眠りながら、とある崖っぷちを歩いているとき、突然目を覚まされたとしたら、その崖下に落ちてしまうだろう。そんな風に、私のエミールも、その無知という眠りの中にいながら、自分では気づかずにいる危険から免れているような状態にいるのだから、私がだしぬけに彼の目を覚まさせたりしたら、彼はおしまいだ。まず、彼を崖から遠ざけてやることにしよう。彼の目を覚まさせて、離れた所から彼に崖を見せてやるのは、それからの話だ。
================================================================================
p358
   青年とかさかさした理屈をこねてはならない。彼に道理をわからせたいと思ったら、その道理をはっきり目に見える形にしてやるがよい。精神の言葉をわからせるためには、心情を通さなければならない。

   冷たい理屈というものは、我々の意見を決めさせることはあっても、行動を決めさせることはないものだ。それは我々を信じさせても、行動させないのである。考えなければならないことを証明したことにはなっても、しなければならないことを証明したことにはならないからである。

   私は彼の想像力をかき立てることから始めることにしよう。
================================================================================
p360
   しかし、そんな風に読みとるためには、エミールと同じように清らかな心を持っていなければならないだろう。
================================================================================
p362 −−−p525下段との関連を踏まえて−−−
   私はあなたの掟に従います。
================================================================================
p364
   私は遙かな将来の幸福を、現在を犠牲にして彼に探してやるようなことはしないつもりだ。私は彼がただ一度だけ幸福であることを願っているのではなくて、できれば、いちも幸せであることを願っているのだ。
================================================================================
p366
   彼は私から何を学ぶことになるだろう。おそらくすべてのことを。だが、自分の仲間とやっていく処世術という人間と市民にとってもっとも必要な技術だけは学ばないだろう。
================================================================================
p367
   人は自分の作り出すイメージを、そのイメージを当てはめる対象よりも愛しているのだ。もし人が自分の愛するものを、あるがままに、正確に見ているものなら、もはやこの世に恋などはありえないだろう。
================================================================================
p368
   子供たちの善導について語る人々が、皆同じ偏見と方針に従っているのは、そういう人々がよく観察しないからであり、それ以上によく考えないからである。青年が道を誤り始める第一歩は体質にあるのでも感官にあるのでもなく、まさに世俗の意見においてなのだ。ここで、学校で教育される少年たちや修道院で教育される少女たちのことを問題としてみるとしても、私はそういうことが彼らについてさえ事実であることを証明してみせるだろう。なぜなら、そういう少年少女が身につける最初の教訓、その実を結ぶことになる唯一の教訓は、悪徳の教える教訓なのである。だから、彼らを堕落させるのは自然ではなく見本なのだ。しかし、学校や修道院の寄宿生たちのことは、彼らの悪行に打ち任せておくとしよう。どのみち、そういう悪習につける薬はないだろう。
================================================================================
p369
   世間に馴染み始めた青年は官能よりも、虚栄心からこそ守ってやらなければならないのだ。青年は自分の傾向よりも他人の傾向にはるかに引きずられるものであり、自尊心は恋心が作る以上に放蕩者を作るものなのだ。
================================================================================
p370
   私には良心と心理という味方がついている。

   しかし、あの若者たちはなぜあなたを説得したがっているのか。それは彼らがあなたを誘惑しようと思っているからなのだ。彼らはあなたを少しも愛してなんかいないのだ。彼らはあなたになんら関心を持っていないのだ。彼らの動機のすべては、あなたが彼らより優れているのを見てひそかに悔しがっていることにある。彼らはあなたを自分たちの低い程度にまで引きずり降ろしたいのであり、自分たち自身があなたを操りたいばかりに、あなたが人に操られるがままになっていると非難しているのだ。
================================================================================
p371
   彼らは他の軽薄な連中の真似ばかりしてきたので、今度は真似されてみたいと思っているのだ。彼らの称する親父たちの偏見なるものを乗り越えようとして、自分たちの仲間たちの偏見の奴隷になっているのだ。彼らがそんなことでどんな得をしているのか、わたしにはわからない。しかし、彼らがそれで二つの大きな利益を確実に失っていることは、私にもわかる。つまり、やさしい、心からの忠告をしてくれる父性愛という利益と、自分の持っているものを判断させる経験という利益である。父親は子供だったことがあるのに、子供は父親だったことはないのだから。

   彼らはあなたを欺くために自らを欺いているのだ。

   彼らの中には、自分の言っていることを信じている者など一人もいないのだということが感得されるのだ。いとしいエミールよ、これが道理というものなのだ。
================================================================================
p372
   茶化し屋たちが勝ち誇るのはしばしの間のことだ。真実は残り、そして彼らの馬鹿げた笑い声は消え去るのだ。

   彼は友情の声が聞こえるし、道理に従うことも知っている。
================================================================================
p373
   知恵にとって一番悪いことは、中途半端に物を知っているということである。
================================================================================
p375
   言うことに耳を傾けさせようとするには、語りかけている人々の立場に身を置いてみなければならないのであって、人間の心情に訴えるすべを心得るためには人間的でなければならないのだ。
================================================================================
p377
   自分の見解は述べても、人の見解に反対しない。それは彼が何にもまして自由を愛しているからであり、率直さは自由のもっとも高貴な権利の一つなのだから。

   長広舌というものは、私が後で話すつもりの才気に対する自惚れから、或いは他人も自分たちと同じくらいそれを重視しているものと愚かにも信じて、くだらないことに価値を与えることから必然に生まれるものである。

   あらゆることにその本当の価値を与えることができるほど、十分事柄を弁(わきま)えている人はけっして余計なおしゃべりをしないものである。
================================================================================
p378
   私は心に誇りを持つ人がその誇りを自分の態度に示したりするのを一度もみたことがない。

   人は愛するときには愛されたいと思うものだ。
================================================================================
p381
   それだけでは明白でなく、他人の判断によって確認される必要のあるような強みはほとんど求めようとしないだろう。
================================================================================
p382
   趣味はあらゆる人に生得的なものであるが、すべての人々がそれを同じ程度に持っているわけではないし、すべての人に同じ程度に発達するわけでもない。しして、すべての人の場合、それは様々な原因によって変質を免れない。
================================================================================
p383
   良い趣味が最大多数者の趣味であるということは、もはや真実ではない。どうしてそうなのか。目指すところが変わるからである。その場合には、大多数の者が多数者固有の判断力をもはや持たなくなり、もはや、大多数者が自らよりも啓蒙されていると信ずる人々に従ってしか判断しなくなる。大多数者は、それとして良いものではなく、そうした人々がよしとしたことをよしとするようになる。
================================================================================
p386
   クセノフォンは、一万人退却の時に謀殺された幾人かの戦士たちの栄誉を讃えて、こう述べている。「彼らは戦いにかけても、友情にかけても、無疵のままに死んだのだ」それだけの言葉だが、このいとも簡潔で素朴な頌辞のなかに、筆者の心がいかなる想いで満たされていたかを読み取っていただきたいものだ。それを絶妙と思わぬような者は気の毒なひとだ。

−−−  クセノフォン

 ソクラテスの弟子、『ソクラテスの思い出』、『アナバシス』のほかトゥキディデスのペロポネソス戦争の歴史を書き継いだことでも知られる。
 ペロポネソス戦争末期、ペル シア帝国でダリウス2世の死去で即位した長男のアルタクセルクセル2世に対して、王位を狙う弟の小キュロスはBC401年、スパルタの協力を得てギリシア人の傭 兵一万を雇を雇って反乱を起こした。バビロン近郊で起こった戦闘には勝利を収めたが、小キュロスは戦死し、雇い主を失ったギリシャ傭兵1万はクセノフォンに導かれて、ギリシャ帰還を目指したが、退却は辛酸を窮めた。その記録が『アナバシス』である。
================================================================================
p387
   ああ、善良な若者よ。本を置いて、読書に一息入れるのだ。お前は感動しすぎている。

   感じやすい人間であれ、だが賢明な人間であれ。
================================================================================
p388
   いつの日か、彼が自分のもっとも身近なところに見いださなければならないはずの幸福になる手段を、自分の富の中に追い求めたりすることがないようにしてやることにある。
================================================================================
p392
   そこになにか足りないものでもあると、その欠陥は、なに一つ所蔵されていない場合以上に、つらい思いをさせるものである
================================================================================
p394
   ただ問題は、そうしたやり方に出ても無茶なことにはならない女がどこにいるかということだ。
================================================================================
p396
   自分から去って行く楽しみをいたずらに追い求めることは、自分に残されている楽しみまで自分から奪い去ることになる。
================================================================================
p400
   もう一度言うが、排他的な楽しみごとは、快楽の死を意味する。本当の気晴らしは民衆と分かち合う気晴らしである。
================================================================================
p401
   たとえ、人々が溝を掘ったり、垣根を作ったりして私に嫌がらせしたりしても、私は何とも思わないだろう。私は自分の大庭園を肩に担いで、別の場所に持って行くことにする。

   幸福を我々の鼻先から追い出してしまうものは、ただ世俗の意見だけである。

   幸福そうに見せかけることよりも、幸福になることの方が百倍もやさしいことなのだ。
================================================================================
p413
   それは嘘である。ばかな男性を愛するためには、ばかな女性でなければならない。そういう連中を惹きつけたいという欲望自体が、そんなことに熱中する女の好みをよく示している。もし世の中にくだらない男がいないとしたら、彼女はいそいでそういう男を作り出すに違いない。
================================================================================
p417
   読むことの効用を子供に教える普通のやり方では、人は子供の考えよりはむしろ、自分自身の考えに従っている。
================================================================================
p420
   彼女の依存状態を彼女にとって辛いものにするのが、必要なことではない。それを感じ取らせればよいのだ。
================================================================================
p422
   衣装によって人目を引くことはできても、好感をもたれるのは、その人自身によるほかはない。

   「君は彼女を美しく描けないものだから、はなやかな姿に描いている」(アレクサンドリアのクレメンス「教育者」より)
================================================================================
P423
   お化粧台の前に六時間も座っているような女は、三十分しか座っていない女よりもきれいになって現れるわけではない
================================================================================
p430
   お手本!お手本!それを示さなければ、子供に対して何事もけっして成功することはできない。
================================================================================
P435
   この哲学の世紀にあっては、試練に耐え得るような哲学が女性にも必要なのだ。
================================================================================
P438
   男はそれぞれ、自分の分け前に満足し、女がいつも自分のことを考えていてくれると思うけれども、実のところは、彼女は自分ひとりのことしか考えていないのだ。

   あらゆる技巧を用いて、女は
   新しい恋人を網に捕らえようとする。
   どの男にも、またいつも、同じ顔を見せず、
   女はその時々に態度とようすを変える
   −−−タッソー、「エルサレム解放」より

   その人のことを思っているような素振りさえも見せずに、男の心を動かすことを学ぶのは、女にとってどんなに大切なことだろう。ガラテアの投げたリンゴと、その見え透いた逃げ方は、なんという魅力のあることばだろう
   −−−ウェルギリウス、「牧歌」参照
================================================================================
p442
   その母親が、多くの場合、娘たちよりも、もっと頭が狂っていて、自分たちに見えるようにしか、物事を娘たちに見せることができないのだ。
================================================================================
p443
   どんな所にも、奇蹟がないわけはない。しかし、私はそういうものを知らない。そこで、もしあなた方のうちただのひとりでも誠実な心を持っているとしたら、私は、あなた方の教育について皆目分かっていないことにことになるのだ。

   大都会では、堕落は出生とともに始まり、小都会では理性の目覚めとともに始まる。

   パリでは、田舎から思慮のない娘たちがやってきて、たちまち、たちまちパリ風に馴染んでしまい、半年の間ちやほやされて、あとは一生の間けなされる例は、よく見かけられる。

   世間には偶像の前にひざを曲げたことがなく、そのばかげた信仰を軽蔑している実直な人々がまだどれだけいるかを人は知らないでいる。騒ぎ立てられる女はばかな女だけだ。賢い女は少しもセンセーションを巻き起こさない。

   これから適切な教育によって養われた場合、或いはもっと正確に言うなら、それが悪い教育によって損なわれなかった場合、

   男にとっても女にとってもお説教は、あらゆるよい教育を台無しにするものだ。

   心に伝えられるべきものは、すべて心から発するはずである。
================================================================================
p446
   我々は物語の騎士たちを嘲笑しているというのか。それは彼らが恋というものを知っていたが、我々はもう放蕩しか知らないからだ。そういう物語風の格率が滑稽なものになり始めた時、その変化は、理性の作り出したものというよりは、むしろ乱れた風俗の作り出したものであった。
================================================================================
p447
   賢明に、信心深く育てられた娘は、たしかに誘惑に耐える強力な武器を持っている。しかしその心に、というよりも寧ろその耳に、もっぱら信心ぶった戯言(たわごと)ばかりを注ぎこまれている娘は、ひとたび、彼女に目ぼしをつけた巧妙な誘惑者が現れると、間違いなくその餌食となってしまう。
================================================================================
p448
   禁じられているために過ちを犯さない女は、過ちを犯しているのだ。 −−− オヴィディウス、「恋愛」
================================================================================
P449
   彼女は、自分の欠点をさえ利用することを知っている。だから、もし彼女がもっと完全な女性だとしたら、かえって人の心を引くことはよほど少なくなったことだろう。
================================================================================
p459
   ソフィーは、お母さんを見習って、ソフィーを迎えることを名誉だと思う家庭にしかはいらないようにしなければならないのだ。あなたは、私たちの富裕な生活を見たことがない。あなたは、私たちが貧乏暮らしをするようになってから生まれた。あなたはその貧乏を楽しいものにしてくれているし、辛いとも思わずに貧乏を共にしている。ソフィー、私の言うことを信じるがよい。財産を求めてはいけない。そんなものから私たちを解放してくれた天に、私たちは感謝の祈りを捧げている。私たちは富を失ってはじめて幸福を味わったのだ。

   あらゆる罠の中でもっとも危険なもの、理性さえも避けることのできない唯一の罠は、官能の罠だ。
================================================================================
p460
   たとえ全世界が私たちを非難したとしても、それが何だろう。私たちは世間の賛同を求めているのではない。私たちには、あなたの幸福だけで十分なのだ。
================================================================================
p473
   もし君たちの中の誰か一人でも、自分の欲望を十分に制御することができて、時が流れ去るのを決して願わないような人があるならば、その人は人生が短すぎるとは決して思わないだろう。その人にとって、生きることと楽しむことは同じことになるだろう。たとえ若くして死ぬことになったとしても、十分に人生の時を堪能して死ぬことであろう。
================================================================================
p474
   彼は仕事をする。彼は腕を働かせて、足をすすめる。

   サロン通いの哲学者たちは、陳列室の中で博物学を研究しているのだ。彼らはガラクタの標本を持っているし、いろいろな名称も知っている。しかし、自然がどんなものであるかはさっぱりわかっていない。ところがエミールの陳列室は王様の陳列室よりももっと豊富である。その陳列室とは地球全体なのだ。
================================================================================
p475
   目的地に着くことだけを望むのなら、駅馬車を走らせるのもよかろう。しかし旅をしたいと思うのなら、歩いて行かなければならない。
================================================================================
p479
   彼女は心の中では喜んではいるが、それを面には表さない。
      −−− タッソー、「エルサレムの解放」

   人類を堕落させているあなた方こそ、私の書物を一篇の小説にしているのだ。
================================================================================
p488
   彼の行っている善行は、自分の財布からではなくて、自分の心から、彼は引き出しているのだ。彼は不幸な人々に、自分の時を、心遣いを、愛情を、自分の身を与えている。
================================================================================
p494
   官能の欲に耽(ふけ)る人々よ、魂のない肉体よ。彼らもいつかはあなた方の快楽を知るだろうが、それを自らに拒んだ幸福な時代を、一生涯、愛惜することだろう。
================================================================================
p500
   誰でも愛するもののうちに、自分が尊重している美点だけを愛している

   人生の情景の変化とはこういうものだ。それぞれの時期に、それを動かすそれぞれの原動力がある。しかし人間はいつも同じなのだ。十歳の時はお菓子に、二十歳の時には恋人に、三十歳の時には快楽に、四十歳の時には野心に、五十歳の時には利欲に引っ張り回される。いつになったら、ひとは知恵だけを追うようになるだろうか。いやでも知恵に向かって導かれる者は何と幸せなことか。どんな案内者に頼ったってかまわない。目的地に連れて行ってくれさえすればよいではないか。英雄たちも、賢者たちさえも、この税金を人間の弱さに払ってきたのである。そして、その指で糸巻き棒を折ったという人(ヘラクレスのこと)も、そのために偉大な人間でなくなったわけではない。
================================================================================
P502
   あなた方が子供や青年につけさせたつもりでいる習慣の大部分は、本当の習慣ではない。なぜかといえば、彼らはそれを無理に押しつけられただけであって、いやいやながらそれに従いつつも、それから解放される機会を待ちこがれているからである。長い間刑務所にいたからといって、刑務所にいることが好きになるというものではない。
================================================================================
P503
   彼は彼女からたっぷり二里も離れたところに宿をとっている。この距離は鍛冶場の鞴(ふいご)の役をする。その距離によってこそ、私は恋の鏃(やじり)を鍛えているのだ。もし二人が向かい合わせに住んでいるとしたら、或いは彼が上等の馬車にふんわりと腰を下ろして、彼女に会いに行けるとしたら、彼は気ままに彼女を愛することだろう。パリっ子のような愛し方をすることだろう。

   もし海がレアンドロスをヘロから隔てていなかったとしたら、レアンドロスはヘロのためなら死んでもよいと思っただろうか。
  −−−レアンドロスは海を泳いで渡りヘロに会いに行っていたが、嵐に遭って溺死する。ヘロは後を追う。
================================================================================
p504
   金持ちは見かけばかり豪勢で、実はケチなものだから、自分の友人を泊めるだけだ。ところが貧しい人たちは、友人の馬まで泊めてやるのだ。
================================================================================
p508
   女性よ、あなたの主人を尊敬するがよい。彼こそあなたのために働き、あなたのパンを稼ぎ、あなたを養っているのだ。それが男なのだ。
================================================================================
p514
   男性よ、あなたの伴侶を愛するがよい。神は、君の労苦をいたわるために、君の苦しみをやわらげるために、君に伴侶を与えているのだ。それが女というものなのだ。
================================================================================
p515
   我々がしなければならないことがわからない限り、何もしないでいることが賢明な態度というものだ。これがあらゆる格率の中で、人間にとってもっとも必要な格率なのだが、また、人間が一番守ることができない格率でもある。どこに幸福があるかも知らずに幸福を求めることは、幸福から遠ざかる危険に身を晒(さら)すことだし、迷い道があるのと同じ数だけの、不幸になる危険を冒すことだ。
================================================================================
p518
   自分の心の願望以外には掟を持たず、自分の欲するものにはどんなものにも抵抗できない者は、いったい、どんな罪に堕ちていくことになるか、教えてもらいたいものだ。

   ☆勇気がなくては幸福は手に入れられない。戦わなければ、美徳も身につかない。

   「徳」という言葉は、「力」という言葉からきている。力があらゆる美徳の根底にあるのだ。美徳は、その本性から見れば弱いが、意志によって強くなる存在にだけ与えられているものだ。正義の人の値打ちはただそういうことにのみあるのだ。

   だから、我々は神を善なる神と呼ぶが、有徳なる神とは呼ばない。というのは、神は善をなすために努力をする必要がないからだ。

   ただ、善良なだけに過ぎない人間は、ただその人にとって善良であるに過ぎない。
================================================================================
p521
   死は、悪人の生の終わりであり、正しい人の生の始まりなのだ。
================================================================================
p525
   女は巧妙で本心を隠すことを知っている
================================================================================
p527
   人々に誉めそやされる書物に頼るのは、はじめからそういうもので満足するように生まれついている人々に任せることにしよう。
================================================================================
p528
   難問の解決が時にはその問題の提起の仕方にかかっている
================================================================================
p534
   一番ペコペコしている奴、一番卑しいやつ、一番卑屈なやつがいつでも一番尊敬されているのだ

   もし本気になって自分の職務をつくそうなどという機を起こしでもしたら、あなたは軽蔑され、憎まれ、多分追い出されてしまうだろう。
================================================================================
p535
   大地のどこの片隅で、あなたはこう言えるだろうか。「私はここで私の主人であり、また私のものである土地の主人でもあるのだ」と。どんな場所へ行けば、容易に金持ちになれるかはわかっているが、どこへ行けば金持ちにならなくてもすませるか、誰が知っていよう。どこへ行けば、誰にも害を与える必要がなく、害を受ける心配もなくて、独立して、自由に暮らせるか、誰にわかっていよう。いつも誠実な人間でいられるような国が、そう容易に見つかるものとあなたは思っているのか。もし策謀もせず、騒ぎ立てもせず、人の支配も受けずに、生きながらえる、正当で確実な方法がなにかあるとするなら、それは、自分の腕で働いて、自分の土地を耕しながら生活することだ。それは確かにそうだが、「私が踏んでいる土地は私のものだ」と人が自分に向かって言える国はどこにあるのか。そういう恵まれた土地を選ぶ前に、あなたが求めている平和な生活がそこに見つかるかどうかをよく確かめてみるがよい。乱暴な政府が、迫害を加える宗教が、堕落した習俗が、そこであなたを不安に陥れることのないように用心するがよい。あなたの労苦の果実を食い荒らす過酷な税金、あなたの財産をすり減らす果てしない訴訟から免れるようにするがよい。正しく生きながらも、知事やその下役や、裁判官や、僧侶や、近くにいる勢力家や、その他疎(おろそ)かにすれば、すぐにあなたを苦しめようとする、あらゆる種類の悪者どもに取り入らなくても済むようにするがよい。特に貴族や金持ちから迷惑を被(こうむ)らないようにするがよい。彼らの土地はどこでもナボテのブドウ畑の隣にあるかも知れないことを考えるがよい。
   −−−イスラエルのユダヤ人ナボテはイスラエル王に自分のブドウ畑を売ることを拒んだ為、無実の罪を着せられ民衆に石で打ち殺された。
================================================================================
p536
   たとえ成功しなかったとしても、あなたは一つの妄想から覚めたことになろう。そして避けがたい不幸を自ら慰め、必然の掟にしたがうことになる。

   これらの重要な問題に光を当てるための最大の困難は、個人にそれを検討する興味を起こさせ、「私に何の係わりがあるのか」と「私に何ができるのか」という二つの疑問に答えることである。

   自分がほとんど気にかけていない真理についてたえず語りながら、おくびにも出さない自分の利益のことだけを考えている著作家

   人民は教授の椅子も、恩給も、アカデミー会員の席も与えはしない。人民の権利がどうしてこういうやからによって、確立されなければならないか、考えてもみるがよい。
================================================================================
p537
   彼の目的は本を書くことではない。たとえいつか書物を書くとしても、それは権力者にとりいるためではなく、人類の権利を確立するためであろう。
================================================================================
p546
   専制と戦争こそ、人類の最大の災厄ではないのか。
   −−−2009年2が18日、「我らは戦う!人権と平和と幸福のために」に引用

   サン・ピエール師(「永遠平和論」の著者)は、国家の間に永久平和を維持するために、ヨーロッパのすべての国家を結合することを提案したことがあった。そういう結合は実現可能だっただろうか。たとえそれが確立されたと仮定しても、それが永続すると推測されるものだったろうか。

   法は人間の情念では曲げられるものではない
================================================================================
P547
   もし我々が王になったとしたら、我々はもう善いことはできなくなろう。もし王であって、しかも善いことをしているとしたら我々は自分では見かけの善いことを一つしているつもりでも、その代わりに、それとは知らずに現実の悪を千も犯していることになろう。もし王であって、しかも賢明であるとしたら、我々が自分自身と他人のために第一にしたいと思うに違いない善いことは、王位を捨てて、あるがままの我々自身に立ち返ることだろう。
================================================================================
P548
   習俗と統治との必然的な関係は、「法の精神」という書物の中で、申し分なく説明されている

   人口が減少していく国ではどこでも、国家は滅亡に向かっている。

   アウグストゥスが、独身禁止令を発令したとき、その法令はすでにローマ帝国の凋落(ちょうらく)を表していた。統治の善いことが、市民たちを結婚するようにしむけなければならないのであって、法律がそれを強制するようであってはならないのだ。

   諸病の共通の根源にまで遡(さかのぼ)って、それらはすべて同時に直さなければだめだということを知ろうとせず、いつも一つ一つの個々の病気に対するささやかな薬を求めたのが、あのお人好しのサン・ピエール師の政策であった。病人の体にできる潰瘍を一つ一つ別々に治療することでなく、そういう潰瘍を生じさせる全身の血をきれいにすることが問題なのだ。
================================================================================
p549
   国家を疲弊させ、その弱点となるのは、大都市だ。それらの大都市が生み出す富は、見せかけだけの、幻想的な富なのだ。

   ものものしい行政組織や、役人どものわけのわからない用語で粉飾された政府の表面的な形態
================================================================================
p550
   私のエピグラフ(標語)
   −−−セネカ、「怒りについて」より
   我々がかかる病気は治すことのできるものである。しかも善のために生きるように生まれついているので、我々は自分を矯正しようと思えば自然の助けが得られる。

   国民が自然に近づけば近づくほど、国民の性格の中で善性が支配的になってくる。都会に閉じこもるからこそ、また文明化するあまり、変質するからこそ、国民は堕落するようになり、有害というより粗野といったほうがよいいくつかの欠点を、快いが危険な悪徳に変えるようになるのだ。

   どんな美徳についても、どんな義務についても、人は外見しか求めていない。この私は現実を求めるのだ。
================================================================================
p552
   人間は独立したいと望むあまりかえって奴隷となり
================================================================================
p553
   事物の激しい流れに押し流されまいとして、人間は無数のものに自分を結びつけます。そうして、一歩踏み出そうとすると、身動きもできず、あらゆるものに縛られていることに驚くのです。

   自由になるためには、人間は何もすることはないのだと私には思われます。自由であることを止めようとしなければ、それで十分なのです。

   支配と自由とは、二つの両立しない言葉なのですから、粗末な家でも、その主人になれば、私は自分自身の主人ではなくなるのだ、ということを悟ったのです。

   これこそ私の求めていたもの、ちょうどよい広さの一片の土地なのだ。 −−−ホラティウス
================================================================================
p554
   死は貧しさの罰ではなくて、自然の起きてなのですから。

   私が生きたという事実を、死はどうすることもできないのです。
================================================================================
p555
   ☆自由は、どんな統治形態の中にもない。それは自由な人間の心の中にあるのだ。自由な人間はいたるところに自由を持ってゆく。卑しい人間は、いたるところで隷属状態にある。ある者はジュネーヴにいても奴隷であり、ある者はパリにいても自由である。

   自分の国に何のおかげもこうむっていないような善人など、どこにいよう。たとえどんな国だろうと、彼はその国のおかげで、人間にとって最も貴重なもの、自分の行為の道徳性と美徳に対する愛とを得ているのだ。どこかの森の奥にでも生まれていたとしたら、彼はもっと幸福に、もっと自由に暮らしたかもしれない。しかし自分の欲望、傾向に従うのに何者とも戦う必要がないのだから、彼は善良であったとしても何の功績もなく、けっして有徳な人間にはなれなかったろう。しかし、今、彼は様々な情念を抑えて、有徳な人間になることができるのだ。見せかけだけの秩序でも、彼に秩序を認識させ、愛させるようになる公共の福祉は、他の人々にとっては口実として役に立つに過ぎないが、彼にとってだけは、実際の動機となる。彼は自分と戦い、自分に打ち勝ち、自分の利益を共同の利益のために犠牲に捧げることを学ぶ。彼が法律から何の利益をも得ていないというのは当たらない。法律は悪人の間にいても、正しく振る舞う勇気を勇気を彼に与える。法律が彼を自由にしなかったというのは当たらない。法律は自分を支配することを彼に教えたのだ。
 だから、自分がどこにいようがかまわない、などと言ってはならないのだ。君にとって、君のあらゆる義務を果たせる所にいることが大切なのだ。そして、その義務の一つが、君の生まれた土地に対する愛着なのだ。君の同国人たちは、子供の時の君を保護してくれた。だから、大人になった君は、その人たちを愛さなければならない。君はその人たちと一緒に暮らさなければならない。或いはせめて、自分にできる限り、その人たちのために役立つことのできるようなところ、彼らが君を必要とする場合、どこに行けば君の手が借りられるかわかるようなところで暮らさなければならない。人によっては、祖国に住んでいるよりも、国外にいる方が、同国人にとって、もっと役に立つことができるというような場合もある。そういう時には、その人は一途に自分の熱意に耳を傾け、愚痴もこぼさずに追放生活に耐えなければならない。

 君は人々に真実を語るというつらい役割を引き受けてはいないのだから、君の同国人のところへ行って暮らすがよい。気持ちよく交際しながら、彼らとの友情を培うがよい。彼らに親切を施し、彼らのお手本になるがよい。君が示す実例の方が、我々のどんな書物よりも、もっと彼らの役に立つだろう。そして君が善いことをしているのを見るのは、我々のどんなむなしいお説教よりも、もっと彼らの心に触れるだろう。

 ☆人住まぬ境にまで平和を求めに行かなくてもよい国は、なんと恵まれた国だろう。だが、そんな国はどこにあるのか。親切な人も都会の真ん中にいては、十分に自分の傾向を満足させることができない。都会では、自分の熱意を注ごうにも、陰謀家や詐欺師の他には相手がほとんど見当たらないのだ。
================================================================================
p557
   ☆それから免れる、公正で確実な方法がただ一つある。それはその勤めを、とうてい長くは君に任せておけないほど、それを公明正大に果たすことだ。もっとも、そういうやっかいな仕事を任されることをそんなに恐れることはない。現代の人間が幾人かいる限り、君などのところに、国家のために働くことを頼みにくる者はなかろう。
================================================================================
p558
   私はただ彼らの耳にだけ語りかけようとするのではなく、彼らの心に語りかけようとする。
================================================================================
p559
   ☆愛着と心遣いとは人の心をとらえるが、離れた心を取り戻すことはほとんどできないものだ。

   自分のものとすることよりも、義務を感じさせられることの方が人を飽き飽きさせるものだ。
================================================================================
p560
   どんなものでも、義務によって要求してはならない。

   けっして権利となってはならない。恩恵であるべきだ。
================================================================================
p564
   ふくれっ面をしたら、もっと愛してもらえるなどと考えてはならない。

   もうその時がきたのです。

2013年3月22日午前1時14分 タイプ終わり